一代記の醍醐味は、功成り名を遂げた人生の軌跡を追いかけると共に、当該人物の性格を愉しむことにある。のちの世に「日本近代建築の父」と謳われる辰野金吾は驚くほどの自信家であり、先見の明がありすぎるゆえに、ともすれば上から目線の憎たらしい性格として表象されかねない。しかし、著者は複数の視座から金吾を見捉えていく。例えば、〈金吾は、感動屋である。情緒の幅がひろいといえば聞こえがいいが、要するに、単純なのである〉。本編一三ページ目に登場するこの「要するに」で思わず笑ってしまい、何でも受け止められる感覚になってしまった。後世の第三者の視点から見た「やれやれ……」感が、金吾を不器用で愛すべき人物へと昇華させているのだ。
第一章第二章において金吾の人生と性格への関心と興味を惹き付け、「江戸」の風景を一変し「東京そのものを建築する」という一大目標が読者の脳裏に焼き付けられたところで、第三章で著者は、建築の世界と読者を繋げていく。
金吾は工部省営繕局のお役人となったものの、廃省となり失業の憂き目にあう。そこで芽生えた逆転の発想は、「われら自身が会社になる」こと。おそらく日本初となる民間の建築事務所・辰野建築事務所を設立し、職業建築家としての道を歩み始める。その第一歩として定めたのが、内閣の臨時建築局が進める、日本銀行の設計だった。この仕事が取れれば、世間に名声が轟く。これまでの慣例に従い外国人建築家に委ねられるようなことがあれば、向後も日本人建築家の出番はなくなるだろう。かくして金吾は建築局総裁に直談判するため鹿鳴館へ赴き、日本銀行の設計を任されるはずだった恩師ジョサイア・コンドルの仕事をこき下ろすことで、受注をぶんどる。
本作屈指の名場面だ。なおかつこの場面で初めて、建築物(鹿鳴館)にまつわる詳細な記述や専門用語が多出する。ともすれば分野外の人間にとってそのような記述は、正確であればあるほど退屈で読みこなしづらいものとなりがちだが、水を飲むようにすんなりと頭に入ってくる。尊敬する恩師が設計した鹿鳴館を否定することで、日本銀行の設計の権利を奪えるかもしれない。そうした葛藤のドラマがまず先に提示された後ならば、建築にまつわる専門的な話は、読者の好奇心を焚きつける燃料となるのだ。ドラマの提示→専門的な話という順番はその後も遵守され、読者を物語から振り落とすことがない。
2023.04.27(木)
文=吉田 大助(ライター)