ニッポンのヴェネツィア!?
日本橋で“日本橋川クルーズ”
かつて江戸は、ヴェネツィアにも例えられるほどの美しき「水の都」でした。
街には水路が張りめぐらされ、いくつもの橋が架かり、大小の舟が流れを行き交っていたのです。
じつは現在でも、江戸の街を潤した水のネットワークは健在。密やかに東京を取り巻いています。
直木賞作家・門井慶喜さんと日本橋で船に乗り込み、都心をクルーズ。水上から江戸の面影を探ります。
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江戸は「水」のエネルギーを操り
パリやロンドンに負けない大都市に
徳川家康がつくった江戸は、綿密な都市計画のもと、やがてロンドンやパリをしのぐほど巨大な都市へと成長していきます。
その発展の源が、家康の命による「天下普請」。大名たちは「天下普請をお手伝いせよ」とインフラ整備を割り与えられ、大規模開発に取り組んだのです。このメガプロジェクトのなかでも特に、治水工事には力が注がれました。
家康は革新的なアイデアで海や河川を再構築し、江戸のエネルギーを増大、拡散させていきます。門井さんによれば「当時の物流の中心は陸運でなく水運」。家康の思惑通り、水運ネットワークは江戸に莫大な富をもたらします。人やモノが続々と日本橋を中心に流れ込み、街は活気づきました。
「水を考えることは時を考えることであり、歴史を考えることにもつながります」と門井さんは説きます。その言葉を胸に、脈々と東京に流れる江戸の水を追って日本橋川へ。
華麗なる日本橋を造ったのは
江戸のお殿様だった!?
江戸幕府が開かれた1603年、家康は全国の道路網を整備するという大事業を始めます。このとき江戸五街道の起点として、日本橋は誕生しました。
現在の橋は1911年作の20代目。二重のアーチを描き、象徴的な彫刻をまとう姿には気高さが漂います。設計は米元晋一、装飾は妻木頼黄(つまき・よりなか)が中心となって進められました。
「妻木頼黄は横浜正金銀行本店(現在は神奈川県立歴史博物館)なども設計した建築家ですが、江戸つながりで言えば旗本の長男でした。世が世なら旗本になって、江戸城に登城、お殿様の仕事をしていた人です」
と、門井さんが橋を渡りながら語ります。
架橋百周年を迎えた2011年、橋のたもとには新しく船着き場が登場。当地発着のクルーズは年々、人気を高め、多彩な船やツアーが揃います。ガイド役は、建設コンサルタントの研究員である宮 加奈子さんが法被姿でお出迎えです。
今回のコースは、日本橋川から北西に進路をとり、神田川を目指します。そこから東へ回り、広々とした隅田川と合流したところで南下、再び日本橋川へ。楕円を描くように3つの川と、47の橋を約1時間半かけて巡ります。
「しかし、日本橋川ってすごい名前ですよね。川に橋の名前が付いているとは。日本橋自体が極めて特別だということでしょう」
と、船首で風を受ける門井さん。
「環境にやさしい電気ボートなので、モーター音がほとんどしません。自然の音が楽しめますよ」と宮さんの言う通り、船長が舵を切るとボートは音もなくスタート。ゆっくりと落ち葉が流れるように日本橋川を進み始めました。
2020.01.03(金)
文=上保雅美
撮影=佐藤 亘