「東京」がどのようにできたか、ご存じですか?
江戸時代のはじめ、現在の銀座や日比谷といったエリアは、まだ海の底でした。そこを埋め立て、世界屈指の大都市を築くというメガプロジェクトを立てたのが「徳川家康」です。
大将軍の都市構想は今も街に息づいています。そんな風景と出合うため今回、『家康、江戸を建てる』の著者でもある作家・門井慶喜さんに東京をご案内いただきました。
過去へと通じる秘密の扉を開き、時空を超えるショートトリップ第二弾!
令和に至るまでのシンボルが一堂に
皇居は「ニッポンの履歴書です」
皇居、いえ江戸城を見学するとき、最初に訪れたいのは広大な東御苑。将軍の住居である本丸御殿や天守閣など、江戸城の中枢がここにありました。
足を踏み入れると、まず、そそり立つ富士見櫓に圧倒されます。高さ約15メートルの石垣の上に、高さ16メートルほどの櫓が鎮座。
門井さんが見上げながら、
「これひとつで、地方のお城の天守ほどの大きさですねぇ。
富士見といっても富士山が見えるかどうかは関係なく、高いという意味でして、江戸では富士見という土地がいくつか見つかっております。江戸で山と言えば富士山、富士山は“聖山”。富士山を信仰する集まり“富士講”などもありました」。
櫓を後にして、造りの異なる多様な石垣を見比べながら進むと、するする江戸の奥へ吸い込まれていく気分に。セキュリティチェックが行われていたという百人番所を通り越す辺りから、道は登り坂が続きます。
「江戸城は自然の地形を活かして造られています。家康は湿地だった江戸のどこにお城を造るか調べ、ラクダのコブのような、一番でっかい高台だったこのエリアに決めたのでしょう。
歩いてみると意外に坂が多いですね。とくに汐見坂はきつい坂で、通勤時は登城する人で混雑したと推察いたします。駕籠が連なる大名行列も、坂の途中で待たされたりしたら大変だったろうなぁ」
と、すっかり江戸時代にタイムスリップしている門井さんが解説します。
長い坂を上りきると視界が開け、本丸の大芝生が広がっていました。1990年(平成2年)に平成の大嘗祭が執り行われたところです。
訪れた昨年12月には、その向こう、大奥跡の芝生の上に令和の大嘗宮が。宮殿群は古代からの様式を受け継ぎつつ真新しく、立ち込める白木の香りも厳か。思わず江戸を忘れ、神道の世界の神秘に惹きつけられてしまいます。
門井さんはたどってきた道を感慨深く振り返り、
「まだ1キロ歩いたかどうかのところですが、その間に全部の時代がありましたよね。
皇居の宮殿があり、家康、太田道灌の遺したものがあり、(2019年12月まで)大嘗宮がある。それも博物館ではなく、建物は普通に使われていて、当たり前にある。これは凄いですね。
胎内回帰のように、近代、近世、中世、古代とさかのぼることができた。ここ皇居にしかないことです。まさに日本の履歴書でしょう」。
どこを歩いても去りがたいところばかりですが、いよいよ江戸城のクライマックスとなる天守台へと向かいました。
2020.01.02(木)
文=上保雅美
撮影=佐藤 亘、文藝春秋