上田早夕里の「井戸と、一つ火」は、室町時代の播磨国が舞台。薬師の律秀と僧侶の呂秀は法師陰陽師でもある。しかも呂秀は、物の怪など人外のものを見て、声を聞くことができた。そんな兄弟が、呂秀が修行した燈泉寺にある井戸にまつわる怪異を解決する。

 解決するといっても、物の怪を退治するわけではない。この話では、呂秀が話し合いによって、某有名な陰陽師(「陰陽師」シリーズにもちょくちょく登場する、あの人である)の式神の、新たな主人になるのだ。互いを認め合う兄弟の絆も心地よい。なお、シリーズを通じて作者が描き出そうとしているのは、人と人、人と物の怪が支え合う世界であるようだ。詳しく知りたい人は、本作を含む連作集『播磨国妖綺譚』を読むといいだろう。

 武川佑の「遠輪廻」は、『陰陽師 付喪神ノ巻』に収録されている「ものや思ふと……」の後日譚ともいうべき内容になっている。作者の「陰陽師」シリーズへの強い想いが結実した物語だ。

 織田信長が天下に覇を唱えようとしている戦国時代が舞台。京の都に鬼が出たという話を聞いた信長は、古今伝授者の長岡藤孝(後の細川幽斎)に調査を命じる。鬼が和歌の上句だけを口にしたからだ。陰陽師の土御門久脩から、やはり陰陽師の賀茂在昌を紹介してもらった藤孝。ところが在昌は、キリシタンであった。在昌は連歌の会を開き、鬼を呼び出そうとする。

 キリシタン陰陽師というとフィクションのようだが、賀茂在昌は実在の人物である。ただし不明な点は多い。作者は面白い人物に目を付けたものである。しかも在昌がキリシタンになった理由に、興味深い解釈がなされているのだ。

 さらに、藤孝と連歌の会の扱いが優れている。歌が好きだが、才能のなさを自覚している藤孝。戦乱の世で、古今伝授者になったことも重荷である。そんな藤孝の想いと、鬼の想いが、連歌によって昇華する。明智光秀を参加させることによって、光秀が信長への叛意を示したという、連歌の会を連想させるところも、極めて巧みであった。藤孝と在昌のコンビは、これ一作だけで終わりにするのはもったいない。是非ともシリーズ化してほしいものである。

2023.04.01(土)
文=細谷 正充(文芸評論家)