プロとしてデビューしていた揺月を激怒させる事件が起こる。所属レーベルと揺月の母が本人に無断で、揺月を「被災地のピアニスト」としてセンセーショナルに売り出したのだ。震災時、揺月はたまたま東京にいた。そんな自分が震災に便乗した商売に加担してしまったことが許せない揺月は、中学卒業を機に日本を離れてイタリアへ音楽留学に出る。
一方、八雲は震災による精神的ダメージに揺月の不在も相まって無気力な高校生活を送っていた。しかし、事故で片脚を失いながら野球を続ける親友が起こした奇跡を目の当たりにしたことで、父と同じ小説家を目指すことを決意する。
物語化を拒む揺月、物語を作り始めた八雲。遠い地で再会を果たす二人を待ち受ける運命は――。作者は大きな試練に直面する八雲と揺月の姿を通して、われわれ読者に「悲劇の物語化」の是非を投げかける。
「当時、震災を雑に物語化しているとしか思えない報道や創作がたくさんあって心に引っかかっていたので、『物語の暴力性』については慎重に考えながら書きました。『なぜ書くのか』『この書き方では誰かを傷つけてしまうのではないか』を自問自答しすぎて、最後まで書き上げるのは無理かも、と思った時期もあったくらいです(笑)。もちろん『誰も傷つかない表現なんてない』という考えもわかります。そうであったとしても、私はそこから逃げずに、自分のできる範囲で全力を尽くしたいです。
あともうひとつ、物語消費という点ではいわゆる〝難病もの〟も意識して書きました。身近な人の死を経験したことのない読者にとって、それを物語の中で経験することにはとても意義があると私は思っているんです。でもキャラクターとはいえ、その死を物語化して消費するという点で、やっぱり矛盾や躊躇いが生まれてしまいますよね。そういったジレンマから読者を解放できるのは『赦し』なのかもしれないと書いているうちに思いついて、ラストシーンに向かう展開が生まれました」
終盤、印象深いタイトルの意味が明かされる。『喪失』から『赦し』、そして『回復』へ。八雲と揺月の物語に寄り添ってきた読者の胸を温かく満たす、力強く美しい場面だ。
「この物語はまずタイトルから生まれました。あとは塩化病とピアノのイメージがあったくらいで、詳細なプロットも立てずに書き始めたんです。さっき『最後まで書き上げるのは無理かも』と思ったと言いましたが、それでも書き切れたのは、もうその時点で登場人物たちが好きになっていたからですね(笑)。最後まで書いてあげたいなと」
2023.03.27(月)