自らに流れるこうした“血”を考えた。

「自分にはサラリーマンのキャリアは無理だろう。なにか自分自身の事業を起こすのだろう」

 フェイフェイにはそんな漠然とした思いがあったという。中国人の自分がなんの縁もない英国王室に入る――タンの提案は、フェイフェイの心中に宿るベンチャー精神にかなうものだった。また、文化人類学を修め、フィールドワークに魅せられていたフェイフェイにとって、英国王室の生態系は最高のフィールドワークの対象にも映った。

 結論から言えば、フェイフェイはタンの提案に乗った。それから8年。フェイフェイは皇太子チャールズの秘書として、一般の者では伺い知ることのできぬ“魔法の館”のような場所で生活を送ることになる。

 フェイフェイはアジア人として初めて採用された秘書官だった。フェイフェイの経歴がアジア人初の快挙であることと同時に、英国王室にとっても彼の存在は“アジアへの窓口”として重要な意味を持った。皇太子の側近をアジア人が務める――それは英国王室、特に来る国王となるチャールズ皇太子の人間性に幅と奥行きがあることを示すのと同義でもあった。無論、懸念の種であった中英関係にもいい影響を与えることになる。デイビッド・タンらの狙いは見事に的中したのだった。

 

すべてが不思議に満ちていたクラレンス宮殿

 チャールズ皇太子は公務もプライベートももっぱら「クラレンス・ハウス」で過ごすのが習わしだった。そこにフェイフェイが足を踏み入れてまず驚かされたのは、皇太子に仕える秘書やスタッフの多さだった。

 皇太子の名前を冠した財団だけでも20以上。その他にも数多くの公務を抱える皇太子を支える秘書やアシスタントは80人以上いた。さらにその周りで働くスタッフは1000人を優に超える規模だった。

 フェイフェイにとってクラレンス・ハウスはワンダーランドだった。すべてが不思議に満ちていた。全ては英国王室の権威を守るためにあり、皇太子が関心を寄せる事業を行い、民を安んじ、平和を希うためにあった。

2023.03.07(火)
文=児玉 博