フェイフェイの父の運動がデイビッド・タンの目に止まっていた、ちょうどその頃、英国王室では目覚ましい経済発展を遂げる中国との関係をいかに構築していくかが大きな課題になっていた。特にエリザベス女王の後を継ぎ、将来国王となるチャールズ皇太子と中国との接点を模索していた。
1997年の香港返還の時、エリザベス女王の名代として式典に参列したチャールズ皇太子は、列席した当時の国家主席・江沢民について、
「なんとおぞましい。古びた蝋人形のようだ」
と日記に記していたことが後日判明し、中国側が猛反発するという事件があった。一時は外交問題への発展が危惧されるほど中英両国、特に中国政府と英国王室との関係は断絶に近いほど険悪な状態になっていた。
フェイフェイの人生を大きく変えた運命の英国訪問
しかし、“世界の製造工場”となった中国の急激な経済発展は、英国王室の姿勢にも少なからぬ変化を強いる。あらゆる局面で国際的な影響力を高める中国との関係が冷え切ったままでは良くないと、英国王室は次期国王と中国との関係改善のタイミングを探っていた。
そこで王室との関係も深くチャールズ次期国王とも近いデイビッド・タンらが一計を案じた。それが中国で成功した経済人などを英国へ招待するというものだった。大成功した経済人などに混じって、文化人枠のひとりとして選ばれたのがフェイフェイの父だったのである。フェイフェイは父の通訳として英国ロンドンでの歓迎パーティーに出席することになった。これが彼の人生を大きく変える運命の訪問となるのだった。
フェイフェイは訪英した中国側のメンバーの中で最も若かった。そのフェイフェイに関心を寄せたのがイベントの仕掛人であったデイビッド・タンだった。フェイフェイと話し込んだタンは、ささやくようにこう尋ねてきた。
「殿下(チャールズ皇太子)の側近になってみないか」
自らに流れる“血”を考え出した結論
突然の提案に驚き言葉を失った。そしてよくよく、己のルーツについて考えた。フェイフェイの父が抽象画家であることには触れたが、彼の母方は歴史のある実業家一族だった。大陸で中国共産党の政権が成立して以降、戦前に成功していた実業家の一族ほど哀れな境涯に落ちていった。母方の実家もその例に漏れず、改革開放の時代の訪れまでは辛酸を舐めたという。父方の叔父のひとりは、勇躍、南アフリカに渡り、現地でビジネスを興している。一時は南アフリカの長者番付の1位になるほどの大成功をおさめた。
2023.03.07(火)
文=児玉 博