阿部はしばしば、他人の秘密をのぞき見る行為に注目する。『シンセミア』の若者たちによる盗撮・監視なども含めて、こうした「警察」的な主題が阿部の小説の傾向のうちのひとつである。陰謀を暴くCIA局員が出てくる『Orga(ni)sm』も例外ではない。そして『Orga(ni)sm』で描かれるのは、(まっとうな)警察がどこにもいない世界である。正体不明で瀕死のアメリカ人が訪ねてきても、「阿部和重」は警察に助けを求めたりはしない。そうかと思えばオバマ大統領は、もはや米国は世界の安全と秩序に責任を負ったりはしない、「米国は世界の警察官ではない」と認めてしまう。二〇一四年の三月には「あろうことかロシアがウクライナ南部のクリミア半島を違法に併合してしまう」が、引退した警察官でしかないアメリカがロシアの暴挙を止められなかったことの代償を、二〇二二年の世界は目撃しているところだ。

 しかし(まっとうな)警察のいない世界とは、(ろくでもない)警察だらけの世界でもある。蓮實重彦はかつて、『シンセミア』の変態不良警官・中山正を「ただの警官ではあり得ない」警官だと語っていた。少女(の糞便)への愛につき動かされる中山こそ、阿部にとっての「警察」の典型なのだ。『ピストルズ』でも、約四〇名の殺気だった集団がいるところにパトカーが一台きりでやってきて、何もせず立ち去ってしまう。警察は必要なときにはどこにもいないが、不要なときにはつきまとってくる。目下最新の短編「There’s A Riot Goin’ On」の主人公は、嫌がらせのように警察から職務質問されてばかりだ。『Orga(ni)sm』では、日本の新たな首都・神町を訪れた「オバマ大統領」の車列が、よりによって「阿部和重」の息子の映記を轢きそうになる。「沿道の警備をまかされていた警察官はどこへ行ってしまったんだ」と、親ならずとも思わずにいられない。ジャック・デリダ的な「代補」にも似て、阿部の世界で警察は不足かつ過剰であり、適当なあんばいで都合よく機能することはまずない。

2023.02.27(月)
文=柳楽 馨(文学研究者)