戦争末期、長野県の松代で大本営移転のための工事が進められたが、それ以前に皇居内に会議ができる大本営の防空設備が必要だとなり、陸軍築城部が建設したのがこの大本営防空壕だった。昭和天皇が空襲を避けるために使われていた住居兼防空施設「御文庫」と地下通路でつながっているので御文庫附属庫とも呼ばれる。この2つをつなぐ地下道は、今はどうなっているのだろうと私の関心は深まった。私たちはしばらく滞在した後、防空壕の草むす周囲をぐるりと廻って御所に戻った。
宮内庁はその年の8月、戦後70年の終戦記念日直前にこの防空壕内部の写真を公表した。御前会議が開かれた会議室の床も壁も朽ち果てていたが、爆弾が落ちても崩れないように梁を格子状に巡らせた、特徴的な台形型の天井は、白川一郎画伯が御前会議を描いた絵画そのままの姿だった。御文庫からの地下通路の写真も公開されたが、土砂ですっかり埋もれてしまっていた。
戦後の大きな節目に合わせた防空壕の公表は、以前から決まっていたことなのかもしれない。ただ、もしかすると、半藤さんが「見たい」と申し上げたことをきっかけに両陛下が公表を考えて下さったのかもしれないとも思えた。防空壕の写真が公表された時、半藤さんが興奮しながら、「お話ししてみるものだなあ」とつぶやいたことが懐かしく思い出される。
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ノンフィクション作家・保阪正康氏による「両陛下に大本営地下壕をご案内いただく」は、「文藝春秋」2023年2月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
2023.02.18(土)
文=保阪正康