半藤さんは、本誌の編集部員だった1965年に『日本のいちばん長い日』を書いて、1945(昭和20)年8月10日と14日の2回にわたり開かれた御前会議の舞台裏と、その一方で秘かに進んでいた陸軍強硬派のクーデタ計画(宮城(きょうじょう)事件)のことを、当事者の証言をもとに戦後初めて明らかにした。その半藤さんも皇居の中にある大本営地下壕はまだ見たことがなかった。執筆した当時は、地下壕の情報さえほとんどなく調べるのに苦労したらしい。
私たちは陛下の返答をうかがって、「そうですか、それは残念です」とだけ言ったが、陛下は半藤さんのリクエストを覚えていてくださったようで、私たちは次回の懇談時に驚かされることになる。
「運動靴で」と言われ皇居へ伺うと……
その懇談は2015年2月22日に設定された。前回は師走の19日、今度は両陛下が大変お忙しいお正月を挟んですぐだったので驚いた。
それには理由があった。事前に宮内庁から、
「吹上御苑の梅を見ていただきたいので、運動靴を履いていらしてください」
と連絡があったのだ。皇居で梅見とはなんとぜいたくなことかと思った。このときは半藤夫人の末利子さん、東大教授の加藤陽子さんもいっしょだった。
午前10時40分にホテルグランドアーク半蔵門で待ち合わせ、宮内庁の車で御所に向い、午前11時すぎにはいつもの応接室で両陛下にお目にかかった。昼食をごいっしょさせていただいた後、3時くらいまでいつものように懇談が続いた。
「梅を見に行きませんか」
陛下がそうおっしゃったので、両陛下と私たち4人は御所から外に出た。
その日は曇り空の寒い日で最高気温は8℃。枯葉が積もるむき出しの土を踏みしめながら歩いていくと、日陰にはところどころ霜が残っていた。「運動靴で」と言われた意味がようやくわかった。
陛下が最初にご案内くださったのは、明治天皇が1888(明治21)年に梅花観賞のために建てた寒香亭という瀟洒な和風建築だった。少し小高いところに立つ亭からは、紅梅の梅林がよく見えた。大正天皇や昭和天皇もここで梅をよく見ていたに違いない。
2023.02.18(土)
文=保阪正康