大正天皇は「寒香亭」と題した漢詩を残している。

 寒香亭
 園林春は浅し 雪余の天
 剪々風来たって 鳥語伝う
 好し 是れ寒香亭子の上
 梅花相対して 神仙に似たり

 この詩の情景は、まさに私たちの目の前に展開していた情景そのものだ。寒香亭に入ると、陛下自ら匠の建築技術について説明された。

この建物の雨戸は直角に曲がるんですよ

 雨戸に細工がしてあって、角に来るとくるりと90度向きを変えるのだ。私は、たまたま元老西園寺公望の別邸「興津坐漁荘(ざぎょそう)」(静岡市)で同じ細工を見たことがあったので、その職人技を知っていた。

 寒香亭の後も両陛下と私たちの散策は続いた。

 

 陛下と美智子さまは並んで先を行かれた。その足は意外なほど速く、ぐんぐん進まれるので、こちらが油断していると置いて行かれてしまう。同行した宮内庁職員と話をしながら歩いたこともあるが、お二人に付いて行くのが精いっぱいだった。そのうちに道から外れ、枯芝が広がるところに出た。両陛下は歩き続ける。行き先はおっしゃらない。御所からは離れていく方角だった。私たちは「どこに行くのだろう」と思いながら付いて行った。

陛下はそこまで来てようやく……

 枯芝の先に古い、いかつい重厚な建物が立っていた。陛下はそこまで来てようやく、

ここですよ、この前のお話に出ていた防空壕の入口は

 と教えてくれた。草木に覆われた向こうにコンクリートの壁と鉄の扉がわずかに見えた。私と半藤さんは顔を見合わせて、両陛下のお心遣いに感謝した。

 陛下は私たちに向って、

ここで終戦の時の会議が開かれたんですね。今はタヌキが住んでいるらしいですよ

 そう笑顔で言い添えた。

 陛下にうながされる形で、私たちは防空壕の入口に近寄った。分厚い鉄とコンクリートで作られた建造物であることは一目でわかった。鉄の扉を触り、鉄格子越しに中を覗いてみたが、その奥がどうなっているのかは暗くてまったく見えなかった。

2023.02.18(土)
文=保阪正康