『小さな場所』(東山 彰良)
『小さな場所』(東山 彰良)

 東山彰良は旅人である。

 異論は認める。一般的には、東山彰良はどこからどうみても小説家だ。しかしわたしは彼の作品を読むたび、この世に生を受けてしまった者のどうしようもない歩みを、足掻きを、そしてそれでも日々を送る高潔な歩みを読み取らずにはいられない。たとえば織田作之助賞・読売文学賞・渡辺淳一文学賞の三冠に輝いた『僕が殺した人と僕を殺した人』の少年たち、直木賞受賞作『流』の秋生……彼らと彼らを取り巻く人々はみなそれぞれ剥き出しの屈託を抱え、それでもなおまだ見ぬ何かに向かって歩み続ける。常に温和で、どこにいても涼しい風に吹かれているように飄々としながらも、そんな無数の人々の「旅」を冷徹に捉え、実は登場人物の誰よりも激しい旅程に身を置いているのが東山彰良という作家なのだ。

 本作『小さな場所』の舞台は台湾北部、刺青店が建ち並ぶ実在の街・紋身街。

 食堂を営む両親を持つ少年・小武を主人公に、珍珠奶茶屋の阿華、拝金主義者の刺青屋・ケニー、彼と事あるごとにぶつかるニン姐さんなど、雑駁な町に生きる人々の喜怒哀楽を描いた群像劇――と分かりやすい分類で本書を説くのはたやすい。だがこの物語を読んだ読者は必ずや、そこに描かれているのが人々のただの喜怒哀楽ではなく、流れ過ぎる日常に油膜の如く張り付く苛立ちや焦燥、そしてそれらと不可分な清らかさであると気づくはずだ。

 誰もが感動する自己犠牲や成功は、ここにはない。代わって存在するのは、あまりに些細でありふれ、それゆえになかなか言葉に紡がれぬ、極めてささやかな人生そのものだ。

 父親に恋人を取られた男・レオを中心に据えた一篇、「あとは跳ぶだけ」のラストにおいて、小武の両親の店に集まった登場人物たちがこんなやりとりを交わす。

「『けど、まあ、男と女ってそういうもんだろ?』

『聞いたか、小武?』阿華がこっちに顔をふり向けた。『けったいなことがあるもんだなあ!』

『それが台北さ』

2023.01.30(月)
文=澤田 瞳子(作家)