広島県尾道市の山間の町に暮らす、102歳の石井哲代さん。近所に住む親戚や知り合いに支えられながらも、畑仕事と一人暮らしを続けている。

 ここでは、そんな哲代さんの「私らしさ」を忘れない生き方をまとめた『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』から、2020年12月に綴られた日記を抜粋して紹介する。当時100歳だった、哲代さんの日常とは?(全2回の1回目/後編を読む

◆◆◆

長生きせんといけませんのう

【7日】

 きょうは久しぶりに学校帰りの子どもたちに会いました。きょう会った子たちも、あっという間に大きくなって、もう高校生。春から看護師と歯科衛生士の学校に進むんだそうです。高校を卒業したら地元を離れる子も多い。頼もしいよね。うれしいことです。

 この子たちが小学生の頃は、毎朝うちの坂の下に立って登校するのを見送ってました。一人ずつと握手してね。「いたたっ」っていうくらい思い切り握っちゃるん。元気出して行くんぞ、きょうも頑張れよって。

 学年が上がるにつれ、握り返してくる力が強くなっていくのがうれしかったですね。

 たまに私が寝坊して道端に姿がないと、心配して玄関をピンポーンしてくれるの。慌てて出ると「あー、よかった。おった」って。これじゃあどっちが見守りしていたのか分かりません。

 でもね、子どもが減って、とうとう朝の見送りはこの3月でおしまいになってしまいました。寂しいもんですね。

【8日】

 今晩も日記を書きました。一冊で3年分が残せる「3年日記」をずっとつけよります。会った人や畑のことを思い出しながら夕食後に書くんです。今の日記帳は今年で書き終えるから新しいのを用意しました。次の日記が終わる頃には103歳ですか。どうなりましょうに。紙を粗末にできんから長生きせんといけませんのう。

「いとおしかったです」先生時代の思い出

【9日】

 きょうは、ぼんやり昔のことを思い出しました。20歳で尋常高等小学校の先生になりました。1940年、太平洋戦争が始まる前の年です。無我夢中でしたなあ。駆け出しの頃のこと、よう覚えとります。

2023.01.24(火)
文=石井 哲代,中国新聞社