浅田 それは信条ですね。言葉が消えると中身も無くなるんです。東京でいえば江戸から続く東京弁が失われたと同時に東京人のダンディズムが消えて、とても格好悪くなった。もしも京都弁が標準語化されたら、京都人の持つ佇まいもなくなる気がします。

 澤田 京都の中でも祇園祭の鉾(ほこ)町の辺りの方の、いわゆる京言葉は、我々が広く使う京都弁ともまた違って、とても美しいのですが、若い世代はあまり喋らなくなっていると聞きますね。

 浅田 それは嫌だなぁ、私の憧れの京都をなんとか残してほしい。

 澤田 そこまで京都を愛して下さってありがとうございます(笑)。

歴史時代小説の豊かさ

 浅田 現代を舞台にした小説というのは、どんどん書きにくくなっていると思います。みんなスマホを持って歩いていて、すれ違いも起きようがないんだから。お二人はもう携帯世代ですか。

 川越 大学に入った頃からですね。

 澤田 私も20歳を過ぎてからなので“連絡が取れない”ということをまだ知っている世代です。

 浅田 じゃあ、恋人の家に電話をしたら親が出るという経験は……。

 川越・澤田 あります(笑)。

 浅田 現代の若者にはないんですよ。このシチュエーションだけで短篇一本になるのに。こうまで何もかもデジタル化されてしまうと、ロマンが生じる余地がない。だから今、歴史時代小説がよく読まれている意味は非常に分かります。

 澤田 私は松本清張さんの「百円硬貨」という短篇が大好きなのですが、大金を手にしながら公衆電話をかける小銭が無い、という状況が現代では再現不可能ですよね。現代物のミステリーをあまり読まなくなった一因には、デジタル的な味気なさもあるかもしれません。

 浅田 例えば江戸時代は時刻だって寛永寺か増上寺の鐘が基準ですから、新宿辺りまで音が伝わっていくのに30分くらいずれる。江戸の中で時差があるけど、誰も気にしないし、生活は支障なく回る。この今は失われた“だいたい感”が読者に求められているのではないでしょうか。

2023.01.23(月)
文=「オール讀物」編集部
写真=石川啓次