山本文緒さんが亡くなって1年余りが経つ。家族とごく親しい人たち以外には伝えられていなかったという病については私ももちろん知らず、突然の訃報にただ呆然とした。
文緒さんが亡くなるちょうど1週間前、私は入院中のベッドで『再婚生活』を読み返していた。「私のうつ闘病日記」とサブタイトルのついたその本には、仕事も私生活も順調だった文緒さんを突如襲った心の病との日々が記されている。
決して明るい内容ではないのに、何度も読み返したくなるのは感情に偏りがないからだ。悲しみも喜びも希望も絶望も、そのどれもが「人生」であるという等しさをもって誠実に綴られている。
病室で点滴を受け、これから半年近く続く大変な治療(と主治医は言った)とその先の日々を憂いながら、私は「また文緒さんの日記が読みたいなあ」とぼんやり思っていた。できれば今の、私と同じく歳を重ねた文緒さんの目に映る世界を見たかった。まさかそれがこんな悲しい形で実現するとは、当たり前だが考えてもいなかった。
「2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった」
文緒さん最後の日記の最初の一行である。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしかできない。けれども、その抗がん剤は「地獄」のように辛く、一度受けたきりで緩和ケアへ進むことを決めた。さらりと告げられた事実に読者の足はすくみ、しかしすぐにそこから続く最後の日々に深く引き込まれていく。
達観などできず、かといってジタバタもせず、体調の良い日には「この体調のまま2年くらいは持つ」のではと考え、「でもきっと違う」と思い直す。花を愛で、テレビを見て笑い、未来を失うことに苦しみ、そして妻を見送る夫の心情に涙する。
日々移り変わる感情への眼差しはやはり等しく平らかで、そうではないとわかりつつも、文緒さんが望んだ「穏やかで、ほの明るい」境地が既に広がっているような気さえする。もちろんそう思わせるのは、作家としての力量の為せる業だ。
2023.01.03(火)
文=北大路公子