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山田邦子は、組織を作ることができなかった

 しかし山田邦子は、組織を作ることができなかった。彼女をトップにまで引き上げたのも鈍感力なら、彼女に足場を固めさせなかったのも鈍感力だ。山田の中で芸人は「商売、仕事」であり、地位を保つための手段ではなかった。組織を作らなかった彼女は、40年近く自分が盛り立ててきた事務所からひっそり姿を消すこととなる。

 「ひょうきん族」時代の孤独について、インタビューで最も長い時間を割いて話していた山田邦子。「やっぱり楽屋の私はいつもひとりぼっちだったし。地方に『ひょうきん族』の収録に行くと、男の子たちはワーッと遊びに行っちゃうんですよ。(中略)私はひとりだなぁっていうのは常にありました」。

 山田邦子と同じように女性MCとして確固たる地位を築いた、元オセロの中島知子のインタビューも「孤独」が滲み出ているものだった。

 美人芸人として売り出すという事務所の方針に乗り、勝手が分からないお笑いの世界に飛び込んだ中島。「『笑う犬』をやらせてもらった時に、私だけ素人……コントやったことなかったんですよ」「素人の延長のような自分が、一気にテレビというすごい変わったシチュエーションに入っていって。女が少なかったから、何でもいいから参加してこいって言われてたんですね」

 山田邦子や上沼恵美子に憧れるも、「あんな風にはできない」と劣等感に苛まれる日々。中島はそれを「むなしさ」と表現していた。「名だたる芸がある方と比べたら、話芸を組み立てていくということは、私にはなくて。ただMCをやっていくっていう。だから、やっていく中で、やっぱりちょっとむなしかったですよね」。

 彼女も山田同様デビューとともに瞬く間に売れ、気づけばMC席にポツンと座っていた。他の芸人にはあるのに、自分にはないと語った「積み重ねたものの自信」。一視聴者として見れば、当意即妙な受け答え、尺の感覚、最後の最後に落とす顔芸……バラエティ番組を仕切る才能に溢れているように中島知子は見えた。彼女に自信を与えてくれなかったものは何なのか。それはやはり、「孤独」だったのではないかと、今あらためて思う。本来であれば一番近くで切磋琢磨したい相方のことを信頼できず、家族問題にも悩まされる、でも仕事はどんどんやってくる。

2022.11.09(水)
文=西澤千央