日本の子供たちは自分の長所がわからない

内田 日本の子供が特に、自己肯定感が低い傾向にあるのでしょうか。

大空 そう思います。内田さんのお子さんはインターナショナルスクールに通われたんですよね?

内田 はい。欧米の教育システムの英語環境で育ちました。すると先生が叱るとき以外は、生徒をことあるごとに褒めるんですよね。日本に帰国している際に、たとえば子供たちが「自分はこのことに関してよくできたと思う」と臆せずに言うと、周りの人たちが驚いて固まってしまうんです。あとで、そういう発言は控えたほうがいいとたしなめますが、彼らにしたら、自分が偉いと言ったわけではなく、ただ、客観的に見て「この部分はよくできたと思う」と素直に表現することがなぜ恥ずかしいことなのか、という問答になる(笑)。

大空 日本の子供たちに自分の長所と短所を書いてというと、短所はたくさん書けるけれど、長所がなかなか書けないんですね。謙遜が美しいとされる文化ですが、そうして自己肯定感を下げていき、「自己責任」が「自業自得」に置き換わってしまう。アメリカのほうが自己責任を問う国のはずなのに、日本では「うまくいかないのは自分の力が足りないから」、「悩みを抱えるのは自分が悪いから」と、どんどん自分を追い詰めていってしまいます。

いじめで苦しんでいた状況が一変したきっかけ

内田 うちの母はアバンギャルドなことをたくさんしてきましたが、根は古風な日本女性。仏教をベースにした学校に通っていたこともあり、基本的に「起こることは、すべて自分から発している」という考えでした。

 私は小学校6年生のときに、インターナショナルスクールから公立の学校に転校したんですね。ところが全くなじめなくて、変わり者扱いをされクラスメイトに無視されてしまったんです。毎日家で泣いている私に「そんなに辛いなら、辞めれば?」と母は言い、逆に自分に責任を委ねられ、辞めづらくなりました。そのときも「あなたの心の所在を少し変えれば、相手も変わるかもしれない」というアドバイスをもらいました。でも、当時、その意味はずっとわからなかった。

大空 難しいですよね。

内田 なんとか卒業して、達成感を得て、私は腰まであった髪をばっさり切ったんです。そうして公立の中学校に入ったら、私をいじめていたボス格の女の子が「名前、なんていうの?」と声をかけてきた。私と気づかなかったみたいで、思わず二人で笑ってしまいました。そこから一気に打ち解けて、中学ではとても楽しく過ごせたんですね。

 あんなに高い壁を感じていたのに、驚くほど何もなかったかのように崩れた。その経験は私にとってはとても大きくて、物事を楽観的に、かつ俯瞰して捉えられるようになりました。

大空 内田さんはご著書のなかで当時のことを「憑き物が落ちたように」と書いておられますね。ボス格の女の子には、まるで違った印象に映ったんでしょうね。

内田 そう思います。相手も、私を仲間はずれにしたかったわけではなく、ただ、得体が知れず、どう付き合っていいかわからなかっただけなのかもしれません。芸能人の娘だからとかほかにも理由があったのかもしれないけれど、でもそんなふうに人間って、ふっと水に流すことができるんだなぁって。

子供を他人のように思い、接することも一つの手

大空 そういう些細なきっかけで状況が一気に変わることは確かにあります。ただ、不登校で家にいるとそういう出来事は起こりにくい。僕らは「蜘蛛の糸」と呼んでいますが、何かきっかけになりそうなことを諦めずにたくさん降り注いで、どれか1本につかまって抜け出すことができたらと考えています。

内田 それに全く違う視点が入ると、見え方が変わるということもありますね。母は、生涯を通して、いつもユーモアを忘れませんでした。父が逮捕されるなど、マスコミに騒がれて、家を取り囲まれたようなときでも、自分たちの状況を俯瞰して笑っていました。私は真面目なタイプなので、「笑うなんて不謹慎!」と思っていたけれど、テンションを高め続けることが家族にとって良いことにはならないと直感でわかっていたんだと思います。

 うちは親の代から、感情の激しいメンバーが集まっているんです。夫は内に秘めるタイプですが。家族だからこそ、近くにいると辛くなるというのを身にしみて感じていたので、子供たちは早くに留学させて、親の目の届かない社会でもまれる方法をとりました。

大空 なるほど。

内田 私も9歳のときにアメリカに留学させられて、1年間母とは音信不通でした。ホームステイ先の家族はお父さんとお母さんときょうだい3人で、いつも朝晩ご飯が用意されて、「いってらっしゃい」と「おかえり」を言ってもらえた。私にとっては夢に描いたような家族だったので、帰国するときには悲しくてしょうがなかった。大空さんも留学のご経験があるんですよね?

大空 僕も全く一緒です。高校2年生のときのニュージーランドに行きました。友達はみんなホームシックになっていたけれど、僕にはその意味がわからなかった(笑)。本当に楽しくて、帰国してから逆ホームシックになりましたね。

 僕は保護者の方に向けてお話しさせていただく機会もあるのですが、「子供を他人と思って接するという方法もあると思いますよ」とお伝えしています。「本気の他人事」と呼んでいるのですが。内田さんは親子関係のなかで「他人感」はありましたか?

内田 私は父にも母に対してもいつも緊張感という名の距離がありました。さっきまで笑顔で話していたのに、次の瞬間爆発することがあり、混乱するんです。いまは普通の家庭を築いていますが、自分が親に構ってもらえなかったぶん、子供に対して、つい危ない道にいかないようにと構いすぎてしまうところがあります。どうしてもっと大らかに接してあげられないんだろうという罪悪感も。

 ただ、3人の子供はそれぞれ違って、私がうるさく言っても、あっけらかんとしている子もいますし、勝手に転んで怪我をしても、自分で起き上がって進む子もいます。

 子育てに正解はないし、常に自問自答しますが、一番大事なのは、「Be here now」いまここにあること。いまこの瞬間をなんとか生きること。大空さんの恩師がおっしゃったように、過去を悲観するのではなくて、これからに目を向けること、というのはまさしく、いまを一歩ずつ歩いていくことなのでしょうね。

悩んでいる人に、生きていれば苦しみは伴うと理解してもらう

大空 過去の延長にいまがあることに違いはないですが、過去に固執しても消化はできない。結局は前に進むしかない。前に進むというのはすごく苦しい作業なんだけど、それが生きる意味なのかなと思います。

 僕は、苦しみから逃れる方法として、「これから先は楽しいことばかり」と思うようにしています。子供たちには防衛術を身につけてもらいたいから、『「死んでもいいけど、死んじゃだめ」〜』の本のなかでは、悩みが苦しみに変わらない方法を書きました。

 でも、苦しみが一つもない人生がすばらしいわけではなく、大前提として生きていくことは苦しみを伴うし、必ず壁に当たる。それも含めての人生ということは理解してもらいたいなと思っています。

内田 辛い質問かもしれませんが、一つ伺ってもいいですか? 大空さんご自身は、ご両親との関係がとても苦しかった。でもいまは前に進んでご自分のリズムで歩いています。現時点で、親御さんに対してはどういう思いでいらっしゃるのでしょうか。

大空 そうですね……無の感情に近いかもしれないですね。

内田 それはご自分で「無」にさせているということですか?

大空 はい。虐待サバイバーの人とお話しすると同じような言葉が返ってきます。自分ではどうしようもない外的要因によって苦しい状況に置かれたとき、最初は「なんでこんなことになるんだ?」「なぜ自分だけ?」と思うんです。ただ、それが繰り返し続いていくと、「考えてもしょうがない」と悟りの境地に至るんですね。どうしたって相手は変わることはないし、自分は自分で生きようという気持ちになる。

 そうすると親に対しては、好きでも嫌いでもない「無」の感情になります。自分から連絡はとらないけれど、もし向こうからきたら返事をするだろうし、会いたいと言われたら会うと思います。ほどよい他人。家族を「他人」と思うことが、僕にはしっくりくるんです。

内田 そのことと、将来、ご自身の家族を持つということは別の話?

大空 別だと思います。僕は家族を持ちたいですし、子供も欲しいと思っています。ああはなるまいと、反面教師でいるかもしれません。

内田 うちも同じです(笑)。私は反対に行きすぎてしまっているところもありますが。

大空 そうなんですか?

内田 「真面目 is the best」みたいな感じです(笑)。私は父と一緒に暮らしたことはなく、暴力を振るわれたわけではありませんが、父は辛いことがあると酔っ払って家に来て、夜中に妻子を叩き起こして暴れていました。憎しみではないけれども、父に対しては「なぜあんな振る舞いを?」という悔しい、辛い思いが根底にあります。今年、亡くなって3年が経ちます。この世にはもういないということで、だいぶ父に寄り添う気持ちは出てきました。同時に生前、なぜもっと私から歩み寄れなかったんだろうという罪悪感もあり、それはそれで複雑なんです。

 幸い、いろんな人から父の話を聞く機会もあり、「彼には彼の葛藤があった」と思えるようになって、私の心と体が楽になっていったんですね。

大空 そうでしたか。

2022.10.08(土)
文=黒瀬朋子
写真=鈴木七絵(大空さん)