田舎暮らしをするきっかけになった最新主演作

 どのような役も自分のものにしてしまう、演技派俳優の松山ケンイチさん。最新出演作は、『かもめ食堂』『彼らが本気で編むときは、』の荻上直子監督の『川っぺりムコリッタ』である。

 心地よいパスカルズの音楽、美しい夕景とともに、生と死、孤独や共生について考えさせられる物語。このなかで、松山さんは、古いアパート「ハイツムコリッタ」に流れ着いた青年・山田を演じている。

 数年前から田舎町と東京の2拠点生活を開始し、今年新たなプロジェクトを立ち上げた松山さん。本作と演技、暮らしについて語ってくれた。

新しい土地に身を置くことが山田を演じる上で絶対に必要になると思った

――荻上監督は『川っぺりムコリッタ』の脚本を書き終えた直後、イタリアの映画祭で松山さんにお会いして、主人公は松山さんに是非お願いしたいと熱望されたそうですね。最初に台本を読まれてどう思われましたか?

 これまでも社会に適合できない人の役は何回かやらせていただきましたが、山田は最初から社会に期待をしておらず、生きていても意味がないと、消えてなくなりそうなキャラクター。でも、川べりの町に越して、ハイツムコリッタの人々と出会い、幸せはどこか遠い場所ではなく、実はすぐ近くにあるのではないかと気づかせてくれるようなお話です。

 僕自身、東京で仕事を続けてきましたが、技術だけでは表現できないものがあるのでは、と思い始めていました。いろいろな体験を経て、さまざまな事柄を知り、自分の経験値を積まなければこの先やっていけないだろう、と。そんなことを考えていたころに、この作品のオファーがきたんです。

――2拠点生活を始める前だったんですか?

 お話をいただいたのは、始める前でした。田舎で生活することを決めた、ひとつのきっかけになりましたね。新しい土地に身を置いて、体験を通して‟発見”することが、山田を演じる上では絶対に必要になると思いました。

――山田役はぴったりでした。田舎の暮らしで畑作業やハンティングをし、「生命の大切さ」を実感する松山さんだから説得力があったのだと思います。お金がなくて、空腹の極限にある山田が野菜にかぶりつく場面は、生命力がみなぎっていました。

 あれをいろいろ計算しながら表現しようとすると、芝居の嘘が透けて見えてしまうので、食べないのが一番だと思いました。あの場面を撮るまで何日間か食事を抜き、本当に腹が減っていたから、最初の一口が大きいんですよね。できるだけ、山田の延長に僕がいるような形にしたかったんです。それが今作の僕のテーマでもありました。

――ハイツムコリッタに入りたてのころの、生の気配を消したような佇まいはどのようにして生み出したのですか?

 あれが本来の自分だったりするんですよね(笑)。こうして衣装や髪型を整えてもらって、きれいな写真に収めてもらう自分とはまったく違う、素の自分というか。だから、特別な表現はしていません。カメラに囲まれていると、なかなか本来の自分を出すのが難しくなるんです。無意識のうちにどこか作ってしまう。それを取っ払う意味でも、田舎の生活は必要でした。

――たしかに、東京での松山さんは、常に誰かに見られているでしょうね。

 誰にも見られてないときに、本来の自分はどんなふうにコーヒーを飲んだり、どんな歩き方をしているんだろう、といったん考えないとわからなくなってしまう。東京を離れて、「誰もおまえのことなんか見ていない」という感じを肌で実感したかったんです。

2022.09.16(金)
文=黒瀬朋子
撮影=深野未季
ヘアメイク=勇見勝彦(THYMON Inc.)
スタイリスト=五十嵐堂寿