ふと孤独を思い出してしまう人のために映画をつくりたい
――この映画には、人間が持つ残酷な面がたくさん出てきますよね。二郎の両親もそうですが、妙子も二郎もシンジも、それぞれにだらしなさや残酷な部分を抱えていることが、物語が進むにつれてだんだんと見えてくる。深田さんにとって、こうした人間の悪意や残酷さというのは、いったいどう見えているんでしょうか。
そもそも恋愛映画の何が描きがいがあるかというと、恋愛においては人間関係の本質みたいなものが炙り出しやすいと思うからなんです。人と人とが結びつく絆以上に、誰かが誰かを選ぶということは、結局別の誰かを選ばない残酷な選択でもあるわけですよね。妙子がパクを選ぶ際には二郎を選んでいないし、二郎が妙子を選ぶときには山崎を選んでいないわけですから。
人の悪意や残酷さって、その人個人が持つものというより、関係性のなかで生まれてくるものだと僕は考えています。関係性によって立場も見え方も全然変わってくるし、そのなかで誰かを裏切ってしまうのも当然ありうること。良かれと思って言ったことが誰かを決定的に傷つけてしまう場合もある。それは、私たちが社会生活を営むうえでの基本的な属性であると思っています。ですから、別におおげさに人の悪意や残酷さを描いているわけではなくて、人間ってこんなもんだろう、という感じなんです。自分だって生きるうえで絶対に誰かを傷つけているわけですし。
――二郎の母親である明恵が、敬太が亡くなったときにした発言に思わずゾッとしてしまったんですが、それも決して彼女が内に抱えていた悪意が思わず出た、ということではないわけですね。
以前に終末期医療についていろいろ調べていくなかで知ったことですが、現代では、家に死を持ち帰りたくないという感覚の人が一定数いるそうです。元々日本には死=穢れの意識がありますし、さらに最近は自宅で人が亡くなること自体が少なくなってきているのも関係しているのでしょう。
だからあのシーンでの明恵の反応は、誰にでも起こりうる衝動的なものだったと捉えています。ただ、脚本では彼女はもう少しシンプルなキャラクターで、上辺は優しいけれど実は意地悪いところもある人物、くらいの設定だったんです。でもそれを演じた神野三鈴さんが、本当に混乱状態のなかで言ってしまった、という匙加減で見事に演じてくれたことで、その言葉の持つ意味が大きく変わり、また明恵という人物もより複雑なものになりました。あのシーンはわりと撮影の初期に撮ったんですが、神野さんの芝居によって彼ら家族の方向性がしっかりと定まったような気がして、僕にとってもとても印象的なシーンです。
――『歓待』や『淵に立つ』をはじめ、家族のように当たり前だと思っていた関係性のなかに、あるとき他者が侵入し、何かに気づかされていく話が深田さんの映画には多いですよね。深田さん自身の持つ家族観や人間観について、もう少し聞いてみたいです。インタビューではよく「人ってそもそも孤独なものだ」とおっしゃっていますよね。
たしかに毎回のように言っていますよね(笑)。僕が映画をつくるときに、いちばん抜け落ちてはいけないと思っているのが、作り手にとって世界がどう見えているかということです。映画には、必ず作り手の世界観が反映されると同時に、そこで反映された表現は世界に対してたしかに影響を与えるからです。たとえば男女の関係を描けば、必ずそこには作り手のジェンダー観が反映される。それはアート映画だろうがエンターテインメント映画だろうが同じで、作り手は常にそのことを強く意識しないといけないと思います。
僕自身は、実は家族を描こうとはそんなに意識していないんです。描きたいのは、家族の奥にある個々の人間の生き方というか、根本的に生き物が抱えている孤独みたいなもの。やはり根底には、私たちは誰もが孤独な存在であるという思いがある。その孤独を忘れるために、人は結婚して家族をつくったり、友達をつくったり、あるいは仕事や信仰のなかでどうにか生きていくわけですが、それでもふいに「ああ、自分は一人だな」って思い出してしまうことって、きっとあると思うんです。自分としては、そういう瞬間をこそ描きたい。ふと孤独であることを思い出してしまう人のために映画をつくりたいんです。
言い換えれば、個々の人間の孤独を描くための前景として、最小限のコミュニティである家族を描いている、と言えるかもしれません。ハリウッド映画なんかを見ると、どれほど家族間での激しい喧嘩や諍いを描いていても、最終的に家族とは良きものであるという前提がある気がして、それはそれで否定する気はありませんが、その感覚が自分にはどうしてもピンとこないんです。だからそうじゃない描き方を、正直に、素直にやりたいとは思っています。
―― 一方でこの映画のラストは、それでもこの人たちは一緒にいる、というわずかな希望が見えた気がします。
自分としては、一本の映画のなかで人間の孤独をきちんと描ければそれで十分で、救済を描くのは映画の優先的な役目ではないと思っているんです。実際、23歳のときに書いたシノプシスはもっとシンプルで、妙子はひとりになって家を出て終わる、というものでした。
ただ、今回改めて脚本を書いていくなかで、妙子がいろんな関係性――誰かの妻であるとか、誰かの親であるとかーーをすべて剥ぎ取られ、自分はたったひとりであることを自覚したあと、それでも誰かと生きていかなければいけない、という感覚を描きたいと思うようになりました。その変化がどうして生まれたのか、自分でもはっきりとはわかりませんが、なんとなく「LOVE LIFE」という歌に背中を押されて、いつもより半歩程度、ポジティブなものになったような気がします。
》前篇「『LOVE LIFE』を単純な愛の物語にするつもりはなかった」を読む
深田晃司
1980年、東京都生まれ。映画監督。『歓待』(10)で東京国際映画祭「ある視点」部門作品賞を受賞。『ほとりの朔子』(13)でナント三大陸映画祭グランプリを受賞するなど国際的に注目を集める。全国の小規模映画館支援のために『ミニシアター・エイド基金』を立ち上げるなどの活動も。他に『淵に立つ』(16)、『海を駆ける』(18)、『本気のしるし・劇場版』(20)など。
映画『LOVE LIFE』
出演:木村文乃、永山絢斗、砂田アトム、山崎紘菜、嶋田鉄太、三戸なつめ、神野三鈴、田口トモロヲ
監督・脚本・編集:深田晃司
主題歌:矢野顕子「LOVE LIFE」(ソニー・ミュージックレーベルズ)
配給:エレファントハウス
©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS
2022年9月9日(金)より全国ロードショー
https://lovelife-movie.com/
2022.09.11(日)
文=月永理絵
写真=平松市聖