その後の内親王の結婚相手は茶道家元や実業家と一般庶民に近づいてくるが、生活感が共有できそうなレベルに降りてきたのは秋篠宮さまの結婚からだろう。当時「3LDKのプリンセス」と言われた紀子さまは、まさしく庶民から抜け出したような人だった。それでも父親は大学教授なのだから一目置かれる一家だった。

 これ以降になると、紀宮さまが結婚した黒田慶樹さんのように、旧華族といった肩書きもなく、また富裕層でもない人が中心になってくる。

 とはいえ、黒田さんは秋篠宮さまと学習院初等科からの友人であり、伯母は旧華族に嫁いでいるし、親族には旧華族の出身もいるほどだから、決して一般庶民と同じとは思えない。

 お金持ちではないが、朴訥として好青年らしい雰囲気から悪い印象を与えなかったことが受け入れられたのだろう。可もなく不可もなく、目立たないことが、内親王の伴侶として必要なのかもしれない。

 

国民の反感を買った「小室家の金銭トラブル」

 現在は皇族であっても、さまざまな人に出会うのが普通になっている。皇族の結婚相手が社会のヒエラルキーの下層へ広がっていけば、自由な恋愛を認めている社会である以上はだれと交際するかは予測がつかない。それがたまたま小室さんだっただけのことなのだが、おそらく国民的感覚からすれば、小室圭さんという人間性も含め、その経歴や生活環境が皇族の伴侶として許容できるレベルから逸脱していたのだろう。そのことを知ったとき、裏切られたと感じたのかもしれない。

 すべての国民は法の下で平等であることは言うまでもないが、その一方で、国民は潜在的に皇族だけは別格と思っている。ある意味で皇族は「国旗」のような存在だから、貧相で問題を抱えていたら困るというわけだ。

 小室さんは、国民がイメージする皇族の「品格」のようなものからかなりかけ離れていた。その主な原因は母親の「金銭トラブル」にあるのだが、考えてみれば、成人した小室さんと母親はそれぞれ独立しているのだから無関係のはずだが、こと皇室に関してはそういうことは受け入れられないようだ。「金銭トラブル」が次々と報じられるようになっても、「借金して返さず、納得できる説明もない」というわけで、母親が悪の主役のようになって、批判がおさまらなくなってしまった。

2022.06.10(金)
文=奥野修司