朝ドラこと連続テレビ小説は、多くの脚本家にとって到達すべき目標であり、ステイタスでもあるが、それだけにリスクも大きい。民放の連続ドラマ換算すると毎週2話分、トータルで約48話分にも相当する分量を書くことになり、かなり綿密なプランニングと書き続ける気力が必要になる。

 以前、インタビューした脚本家は「同業者が書いた朝ドラを見ていると、今回はあまり興味がない分野のことを書いちゃったのかなと思うことがある。長いだけに馬脚が現れるので怖い」と話してくれた。

 

朝ドラ反省会タグの問題点

 反省会タグが存在するのも、「あまちゃん」の能年玲奈(のん)が語ったように「朝ドラはドラマの中の王様」だからだ。それだけ多くの人が見ているし、毎日の楽しみとして必要としているからこそ批判される。

 そもそも、エンターテイメントのクオリティを上げるためには、批評が不可欠だ。例えば、韓国の映画やドラマが世界で評価されヒットしているのも、韓国のエンタメの受け手が容赦ない批判をすることによってクリエイターの腕が鍛えられるからだと言われる。『パラサイト―半地下の家族―』が米アカデミー賞作品賞を獲得したとき、壇上でプロデューサーが「厳しい観客が韓国の映画を育ててくれた」と語ったのは有名な話だ。

 しかし、果たしてTwitterの朝ドラ反省会は正当な批評たりえているのだろうか。ほとんどの人が匿名アカウントで発信する感想は的を射たものも多いが、それがずらりと並ぶと典型的なエコーチェンバー現象を起こしてしまう。

つまり、ドラマを見てモヤモヤした人が反省会タグをのぞくと、不満が言語化されて我が意を得た気分になり、リツイートしたり「いいね!」を押したりする。それが繰り返されることによって「このドラマは叩いてヨシ」という空気が形成され、重箱の隅をつつくような粗探しが始まる。

「ヒロインがむかつく」「あの家族が好きになれない」と嫌悪、憎悪の感情を呼び起こし増幅し、次の段階として、出演者へのバッシングにまでなってしまう様をこれまでも見てきた。

 たかがドラマ、されどドラマ。感想は好きに言える世の中であるべきだが、否定のための否定になっていないか。反省会タグを使うときは、そこに意識的であってほしい。

 (*1)「沖縄県の雇用問題について」

 https://www.pref.okinawa.jp/site/kansa_i/documents/h23-hokatu-2.pdf

2022.05.25(水)
文=小田 慶子