役満はインディーズではそこそこの評判を得たが、相方の都合でわずか2年で解散してしまう。野田は高校卒業後、郵便局で働きながら、ピン芸人として活動するようになる。それまでは本名の野田光を名乗っていたが、それを機に野田クリスタルという芸名に変えた。
「それは俺に死ねっていうこと?」
野田は男3人兄弟の末っ子で、父と次兄は公務員だった。そんな家風だったため、チイが一度、堅い職業につくようそれとなく諭したことがある。しかし、野田は珍しく声を荒げた。
「それは俺に死ねっていうこと?」
チイが振り返る。
「あの言葉は、強烈でしたね。3人目の子だったので、もう好きにすれば、という感じでした」
ピン芸人となった野田は地下芸人の間では、少しは名の知れた存在だった。白いランニングシャツとブリーフパンツといういで立ちで、意味不明なことをつぶやいたり、絶叫したり。地下ではそれがウケた。
(文中敬称略、後編に続く)
野田クリスタル“伝説の土下座”の真相「決勝がトラウマに…」M-1で“殺されかけた”マヂカルラブリーが上沼恵美子の次に笑わせたい人は? へ続く
2021.12.30(木)
文=中村 計