安室奈美恵が体現してきた、強く、自立した「カッコいい女性像」に、同世代や年下の女性たちが憧れ、夢中になった。

30歳で更新した「カッコいい女性像」

 しかし、安室自身が女性として、アーティストとしての本当の意味での自立を獲得したのは、もっと後のことだ。

 安室は10代の頃をこう振り返っている。

〈 あの頃は、敷かれたレールが目の前にあった。だからその上をとにかく真っすぐ歩いていくという……他人事みたいな部分がありました。(『VOGUE JAPAN』2018年10月号)〉

 転機になったのは、自分と向き合った1年の休業期間。そして小室プロデュースを離れセルフプロデュースの体制になった00年代以降の音楽活動だ。当初は迷いもあった。何をすれば正解なのかわからない。作詞に挑戦したこともあったが、しっくりこなかった。

 

 その中で大きなターニングポイントとなったのはラッパーのZeebra、m-floのVERBAL、音楽プロデューサーの今井了介と組んだスペシャルユニットSUITE CHIC(スイート・シーク)としての活動だった。アルバム『WHEN POP HITS THE FAN』(2003年)は、本格的なR&B、先鋭的なヒップホップの方向性で新境地を開拓した1枚だ。

 本作以降、「安室奈美恵」名義に戻った彼女は、貪欲に音楽的な挑戦を繰り返していく。Nao’ymtなど信頼する音楽プロデューサーと共に同時代の海外のR&Bやヒップホップやダンスミュージックのエッセンスを旺盛に取り入れるようになった。こうして制作された『Queen of Hip-Pop』(2005年)は高い評価を集め、そして『PLAY』(2007年)で7年ぶりのオリコンアルバムランキング1位を獲得する。

 このとき、安室は30歳となっていた。この時期を彼女はこう振り返る。

〈 SUITE CHICでの活動や、あの時期の出会いを通じて、「こうやって音楽を楽しむんだ」というのを再確認して、再び安室奈美恵と名乗ったとき、無意識にSUITE CHICの楽しさをそのまま引き継ぐことができたんです。(『VOGUE JAPAN』2018年10月号)〉

 テレビの音楽番組にはほとんど出演せず、活動の軸をコンサートに置き、ダンスと歌に徹するパフォーマンスを繰り広げるようになっていったのもこの頃からだ。MCを一切挟まず2時間ぶっ通しで歌い踊る姿には圧倒的な説得力があった。

 誰かに敷かれたレールの上ではなく、自ら決めて選んだ道を歩み、パフォーマンスで魅了する。そのプロフェッショナルな姿勢や生き方を通して、以前とは違う意味で彼女は同世代や年下の女性の憧れとなっていった。

2021.12.17(金)
文=柴 那典