山藤章二はナンシー作品を高く評価

 この時期、ナンシー関は珍芸タレントと目され何度かテレビに出演した。しかし92年末、「CREA」誌上で大月隆寛との連載対談が始まった頃、出演をやめた。「業界人」になってしまえばテレビ批評はできないと考えたのである。

 93年は彼女の転機であった。年初から「週刊朝日」のコラム「小耳にはさもう」が、10月からは「週刊文春」で「テレビ消灯時間」が始まり、いずれも彼女の死までつづいた。

 ナンシー作品、とくにその文章を高く評価する山藤章二は、「評伝」の著者・横田増生にこのように語った。

「ナンシーの場合は、自分の美意識にそぐわないターゲットを見つけたときに、本気を出しますよね。親の仇を探して、10年、20年という執念のようなものが感じられる。(……)ナンシーの審美眼にそぐわないのは、“夜郎自大なヤツ”とか“世間をなめているヤツ”、“羞恥心のないヤツ”とか、この種の輩(やから)ですね」

 

「ナンシーの絵は、その文章とは対照的にゆるい作りになっていて、全体でバランスがとれているんです。(……)まずコラムニストとして100点ですね。それに絵を加えて120点、さらに消しゴムの横に添える一言で130点」

 究極の大衆化のさなか、民放テレビの番組は「派手で貧乏くさい」空気を全身にまとった。ナンシー関はそれを「イブ・サンローランの便所スリッパとか、松阪牛しゃぶしゃぶ食べ放題ただし制限時間90分」みたいなものだといった。

「どうよ、27時間テレビ」

 ナンシー関は「見た自分が悪かった」と、ときどきため息をついた。しかし、テレビ批評をしているというより、テレビ内部の現象から「現代史」を見通すという、まったくあたらしいジャンルの開拓者であり実践者である身としては、テレビとの骨がらみのつきあいはやむを得ないことだった。

 民放で「27時間テレビ」という長い番組(?)をやっていた日、ナンシーは友人と電話中、「どうよ、27時間テレビ」と尋ねた。別に答えを期待するでもなく、「どうなってんのよこの湿気」とおなじ調子で口にしただけだったが、友人は「何ソレ?」といった。

2021.12.11(土)
文=関川 夏央