食卓を彩る料理の数々に思わず垂涎

 タイトルからもわかるように、「料理」がベースにあるこの作品。グルメドラマを何度も成功させているテレ東だからこそクオリティが担保された部分も大いにあると思います。

 原作自体「マツコの知らない世界」の「マンガ飯の世界」で、“レシピ本として使える! おすすめマンガ”の第1位に選ばれているだけあって、登場するレシピはどれも折り紙つき。毎回なんの献立が出てくるのかも楽しみの一つで、調理シーンは特に力が入っています。

 調理は主に料理好きなシロさんが担当。材料や手順、コツなどの描写もしっかり盛り込まれていて、Eテレの「きょうの料理」を観ているかのようです(西島さん、谷原章介ポジションでリアルに出演してくれんか?)。料理は基本的に近所のスーパーで揃う材料でつくれるものばかりなので、実際にマネしやすいところも嬉しい限りです。

 器の選び方なども良く、料理はとにかくおいしそうで、観ているだけでよだれがでます。それを二人で一緒に食べている姿は、幸せの形そのもの。ケンジはちゃんと感謝を口にするし、料理の感想を伝えてくれるので、つくり甲斐もあることでしょう。

 ちなみにシロさんが忙しいときは、ケンジも料理をします。柔軟な家事分担をしているところも、同棲中のカップルとしては理想的な姿ではないでしょうか。二人の温かな共同生活からは、「他人と一緒に暮らしてゆくこと」に関する秘訣がたくさん散りばめられています。

「何食べ」が描く、マイノリティに優しくない日本の現状

 男性カップルの二人暮らしという日常にほっこりしながら、相手を思い合う関係性に「どんな形であれ二人が幸せならそれでいいんだよね」と好意的に感じている人も多いでしょう。でも、そう思えているのはもしかしたらあなたが「特権」を持っているからかも。たとえば異性愛者という特権。特権の多くは努力して得たものではなく、すでに備わっているもので、いわば「持てる者の余裕」です。

 本作は性的マイノリティに不寛容な社会や、差別や偏見といった日本の現実もしっかり拾い上げて描いています。

 「努力をしないと簡単に切れる関係だからですよ。結婚とか簡単に別れられない社会的な契約も責任も何もないですからね、俺たちは」。これはシロさんがドラマ版の中で二人の関係性について語ったセリフです。日本はいまだに同性同士の結婚が認められない国。二人を縛り付けるものは、当人同士の意思のみなのです。

 「最近はパートナーシップ制度があるからいいじゃないか」という人もいるかもしれませんが、導入していない自治体も多いですし、そもそもパートナーシップと婚姻はまったく違う制度です。

 パートナーシップ制度は、同性カップルを法的な効力はないけれど、結婚に相当する関係として認める「証明書」となる書類を「発行」する制度なだけ。結婚のような法的な義務や、保証を受ける権利を得ることはできないのです。

 ケンジの友達の熟年カップルが、養子縁組をする手続きをしたいとシロさんに申し出る回がドラマにもありました。これはなんでかというと、相続人をパートナーにして、財産をすべてパートナーに渡すため。

 現在の法律では、もし同性カップルの一人が亡くなった場合、パートナーではなく、法律に定められた相続人である親族がすべて相続することになります。養子縁組をすると、親族として相続権が生まれるのです。

 ただし、養子縁組をすると二人の関係性はパートナーではなく「親子」になります。つまり一度養子縁組をすると、その後日本で同性婚が認められたとしても、結婚することはできなくなります。そのいつ訪れるのか分からない最高の瞬間に婚姻届に判を押せないは、悲しいことですよね。

 同性カップルには受けられない権利はまだまだたくさんあります。「きのう何食べた?」は現在も連載が続いている作品なので、日本の今の現実がそのまま反映されています。つまり連載中にこの国の法制度が変わっていけば、二人の関係にも変化が生まれるかもしれないということ。みんなが暮らしやすく、同じ権利を得られる未来が来ることを期待したいものです。

 ちなみに先ほど異性愛者の特権の話をしましたが、シロさんやケンジがまったく特権を持ってないかというと、それも違います。同性愛者だとしても、二人はシスジェンダーの男性であることに変わりはありません。男性優位社会の日本で、それは一つの特権になります。

 二人は倹約をしていますが、それなりに生活水準は高いはず。弁護士と美容師という専門職を持っているシロさんとケンジをはじめ、本作に出てくるゲイカップルは総じて高所得カップルです。

 日本はジェンダー格差がまだまだ大きい国で、収入面でも雇用面でも男女には差があります。これが女性同士のカップルの話だったら、こんなに豊かな生活を描けていないのではないでしょうか。まずは誰しもが労することなく得ている自分自身の特権を理解する必要があると思います。

悪意がないからこそ気になる「マイクロアグレッション」

 作品としてとにかく素晴らしい本作ですが、一方で純粋には楽しめないと感じる人達も……。その原因はキャストの発言にありました。ドラマ版のクランクアップ後に内野聖陽さんが「男に戻る」と発言した記事を目にしてモヤモヤしたという人が少なからずいるのです。

 ケンジを演じる際に“心がふんわり乙女”という原作通りのキャラを意識していた上での発言だと思いますが、ケンジの性自認はそもそも男なので、「男に戻る」は語弊がありますよね。これはまだジェンダーやセクシャリティについて理解も勉強も不十分だからしてしまった発言です。

 最近も劇場版のインタビューで内野聖陽さんがしていた「夜中にひっそりやる話だと思っていた」という発言に引っかかるという声も。ドラマは金曜の深夜に放送されていました。それが劇場版になったことの嬉しさと喜びを表現したものだとは思いますが、たしかにこれは「男性同士の恋愛は夜中にひっそりやる話」だと認識していたかのようにも受け止められかねない。

 たぶん本人にまったく悪意はなく、むしろリップサービス(善意)としての言葉なのでしょう。でも、これは「マイクロアグレッション」だと認識をする必要があります。

 「マイクロアグレッション」は「小さな攻撃」とも訳される概念。誰かを差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっと影をおとすような言動や行動をしてしまうことです。これがなぜ相手を傷つけるかというと、その言葉や行動に、実は人種や文化背景、性別、障害、価値観など、自分と異なる人に対しての無意識の偏見や無理解、差別心が含まれているから。

 みんな違うバックボーンを持っているからこそ、こういうことは日常的によく起きる。そして悪気も悪意もない一言や態度だからこそ、世の中にはびこっています。そしてそれを敏感に感じ取り、傷ついてしまう人は確実にいます。

 「きのう何食べた?」は、悪意のない人たちから受けるマイクロアグレッションや、マイノリティとしての生きづらさをも丁寧に描いている作品です。シロさんやケンジが些細なことに傷つきながらも、どうしようもなく受け流している描写もしっかりある作品だからこそ、これは演者自身にも気づいてほしい問題。

 多くの人に心から楽しんでほしいからこそ、キャストやスタッフ陣はこれからもっと学んでいってほしいと思います。現実の西島さん、内野さんはともに50代。実写のシロさんとケンジがこれから50代、60代と歳を重ねていく姿もドラマとしてこれからも見届けていきたいので、これからも「孤独のグルメ」のように定期的に続編お願いします!

●劇場版『きのう何食べた?』主題歌「大好物」スペシャルバージョン動画

劇場版「きのう何食べた?』

キャスト:西島秀俊、内野聖陽、山本耕史、磯村勇斗ほか
原作:よしながふみ
監督:中江和仁
脚本:安達奈緒子
https://kinounanitabeta-movie.jp/

綿貫大介

編集&ライター。TVウォッチャー。著書に『ボクたちのドラマシリーズ』がある。
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2021.11.17(水)
文=綿貫大介