「大恋愛」と聞くと、「なかなか経験できないドラマみたいな恋愛」をイメージする人が多いのではないでしょうか。

 たとえば不釣り合いな身分や状況を克服する恋愛、略奪愛や障害のある恋愛。相手のことがまだよくわからないうちにのめり込んでしまう、衝動的で情熱的な恋。それはとてもロマンチックで、そんな恋は2人をドラマの主人公に変えてくれます。でも、本当にそれだけが「大恋愛」なのでしょうか。

 そんなことを思ったのは、映画『花束みたいな恋をした』を観てしまったから。観終わってからしばらく経っても、まだ胸がチクチクするという人、多いと思います。つい引きずってしまい、サントラを聞いたり、劇中に出てくるカルチャーに浸ったり、誰かと共有して自分の物語として語りたくなる、そんな誘発タイプの映画なんです。

 そこで、みなさんの語りたい欲にさらに薪をくべるべく、過去の坂元裕二作品を下敷きにしながら本作の恋愛について考えてみたいと思います。


カルチャーに彩られた恋愛グラフィティ

 『花束みたいな恋をした』は数々のドラマの脚本を手掛ける坂元裕二が書き下ろした初のオリジナル恋愛映画。東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った、大学生の山音 麦(菅田将暉)と八谷 絹(有村架純)が恋に落ちて別れるまでの5年間を描いています。いわゆるふつうのボーイ・ミーツ・ガールもの。テレビの向こう側ではなく、こちら側で起こる、ありふれた恋のお話です。

 絹と麦のふたりが恋に落ちるのは必然でした。恋を成立させる3つのINGこと、①TIMING、②HAPPENING、③FEELINGが完全にそろっていたんです。タイミング=お互い恋人がいなかった。ハプニング=終電を逃して出会う。フィーリング=同じカルチャーが好き。特に③のフィーリングがふたりにとっては重要でした。

 麦と絹は、完全に同じ「ジャンル」に分類されるタイプ。映画、文学、演劇、音楽、漫画、お笑い等……好きなカルチャーの趣味が運命的に一致しているんです。

 天竺鼠、今村夏子、押井 守、きのこ帝国、穂村 弘、長嶋 有、いしいしんじ、ほしよりこ、タムくん、cero、舞城王太郎、フレンズ、Awesome city club、「わたしの星」、「ゴールデンカムイ」、「A子さんの恋人」、「宝石の国」、「菊地成孔の粋な夜電波」、「ストレンジャーシングス」、「ゼルダの伝説」……。これはあくまで劇中に出てくる一部。

 この物語は、同じ感性を持ったふたりの若者の、カルチャーに彩られた恋愛グラフィティです。カルチャーは恋愛においてリトマス紙の機能を果たします。

 たとえば「クロノスタシスって知ってる?」かどうか。カラオケで、帰り道で、きのこ帝国の「クロノスタシス」を歌える2人はすでにこの恋愛の試験にパスしています。さらに絹は麦の家の本棚を審査し、「ほぼうちの本棚」であることで、恋を確信に変えていきます。

歩く描写に見えるささやかな日々の営み

 この映画で印象的なのは、ふたりの歩くシーンです。出会った日、明大前から調布まで甲州街道沿いをひたすら歩いて帰ります。同棲を決めたマンションは、調布から徒歩30分の多摩川沿い。「バイト終わりには駅前で待ち合わせして、ふたりで歩いた」。「徒歩30分の帰り道が、何よりも大切になった」。コーヒーを片手に他愛もない話をしながら歩くふたりの姿は、ささやかな日常の尊さを描いてくれています。

 歩くといえば、「最高の離婚」の光生(永山瑛太)と結夏(尾野真千子)のことを思い出す人もいるでしょう。東日本大震災の夜、光生と結夏は、結夏の調布のアパートまで一緒に歩きます(不安を抱える中で意気投合し、同棲を経て結婚する)。最終回でも、新横浜から中目黒まで、同じように出会った頃を思い出しながら歩いて帰るのです。

 鉄道に依存している東京で、「歩く」ということは娯楽であり、非日常であったりします。見慣れた街でも、電車で通り過ぎるのと実際に歩いてみるのとでは、接し方だけでなく見え方も違ってきます。それが好きな人と一緒ならなおのこと。歩幅を揃えて並んで歩き、おしゃべりをするというのは本当に何気ない時間です。

 それでも、思い出を振り返るとき、大きな出来事よりも、なんてことない道を雑談しながら歩いたことを妙に覚えていたりするんですよね。

2021.03.04(木)
文=綿貫大介