なまじドラマらしい構成をとるより、キャラクターの味を全面に押し出し、視聴者に馴染ませることにした。
これはうまく行った。
玄人の批評は「メシばかり食べてる」と芳しくなかったが、一般の視聴者には歓迎された。架空のキャラクターが実在して、自分たちの町内に住んでいる。そんな錯覚を与えることに成功したわけだ。
映画にない、テレビならではの持ち味が、すぐ足元に転がっていたのだ。
今となって反省するシチュエーションコメディ調の『サザエさん』
だから『サザエさん』でも、ぼくは同じ作戦を立てるべきであった。実写ではどうしても俳優が前に出るが(『バス裏』では十朱幸代や岩下志麻といった、視聴者には白紙の新人を軸にした)、アニメはもともと架空の人物に決まっている。
まずキャラの面白さを正面に押し立てるのが、テレビアニメとしての正攻法だろう。50年後に思うのは、ぼくに判断ミスのあったことだ。
アマゾンで配信される昔の『サザエ』を見て、ファンからびっくりしましたと、お便りをもらった。
「初期はあんなにドタバタだったんですね」
お恥ずかしい。
キャラよりも話作りに力が入り、シチュエーションコメディを志していたのだろうか。ガッチリした原作があるのだから、どの4コマをどう使うといった設計より、放射されるキャラのオーラを受け止めて、7分間をたっぷり泳がせてあげれば良かった。
引き合いに出して申し訳ないが、雪室脚本の中を遊び回るタラちゃんの姿を見るにつけ、自作の欠点が目についていけない。
今になって反省しても追いつかないから、実際にあの番組の脚本がどんな順序で書かれて行ったか、メモとして残すことにしよう。
第1話カツオ主演の「75点の天才!」
前記したようにTCJがアニメの制作を担当したが、脚本のオーダーは広告代理店宣弘社の松本美樹が中心になって行われた。
まず数ある原作の中から、4コマを1本あるいは複数本、それに話のメインとなるキャラのローティションなどを按分して選び、当時のシナリオライター3人に割り当てる。ざっくり言えば、タラやカツオなど年少組の話を雪室俊一が、サザエやマスオたちを城山昇が、波平・フネなどを辻が書いた。
2021.10.10(日)
文=辻 真先