20代のとき役者として考えていたこと
「ポジションの確立に重点を置いて…」

――『るろうに剣心』は、佐藤さんが小学生のときから親しんでいた漫画シリーズですよね。同じくファンだった『名探偵コナン』では、青山剛昌先生と対談が実現。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』ではあのドラクエの世界に入り、幼少期にファンとして触れていたものを表現者として一緒に作るようになった10年だったのかな、とも思いました。

 確かに、そういう意味でもすごくエキサイティングでしたね。おっしゃる通り、子どものころに好きだったものの現場に身を置けるのは特別な経験でした。いまでこそ徐々に慣れてきましたが、「本当に特別な幸せを味わってるな……」とは常々思っています。

――『るろうに剣心』の第1作が12年に公開。第2・3作と続いていくなか、並行して『とんび』『リアル』『ビター・ブラッド』『天皇の料理番』『バクマン。』等々、13年から15年頃に、また作品の幅が広がった印象です。剣心役のイメージがありつつ、様々なことにチャレンジしていた時期なのかなと思ったのですが、いかがでしょう?

 もともとチャレンジするのが怖いという感覚はないです。というより、どちらかというとひとつのイメージがついてしまうほうが怖いと昔から思っていたんですよ。

――「一つひとつの企画を慎重に吟味して判断する」というスタンスについて以前話されていましたが、昔からずっと変わらず持っている信条なのでしょうか。

 その気持ちが一番強かったのは少し前ですね。当時はまだキャリアが浅いぶん、ひとつの作品に出ることでイメージがついてしまうじゃないですか。そこはリスクだと感じていました。

 役の幅が限定されたり、イメージが凝り固まってしまうのは得策ではない。見られ方というか、自分のポジションの確立に重点を置こうと考えていました。

 最近は「純粋に自分がやりたいから」という想いだけでやったとしても、「この作品に出たからイメージが固まる」というようなことはないと感じられるようになりました。いまは別の意味でこだわりも出てきましたし。やりたいことをやりたいな。

――そういう風に感じられるようになった、変化があったのはどれくらいのタイミングでしょう?

 20代後半くらいですかね?

――なるほど! ちょうど20代後半で出演された『世界から猫が消えたなら』『何者』『亜人』『8年越しの花嫁 奇跡の実話』『いぬやしき』『億男』『半分、青い。』『義母と娘のブルース』――特に17年、18年は怒涛の時期だったかと思います。ご自身の中でも、ターニングポイント的な時期だったのでしょうか。

 うん、そう思います。まさにその時期ですね。

2021.09.17(金)
文=SYO
撮影=釜谷洋史
ヘアメイク=古久保英人(OTIE)
中兼英朗(S-14)