伊藤の「無回転強打」がすごい理由

 伊藤の無回転強打の威力は、速いことだけではない。

 低い打点から直線的に飛ばしたボールは、飛行中のボールが常に低いため相手に高い打点を与えない。低いカメラからの映像を見ればよくわかる。そのため、相手は速いボールで打ち返せない。

 もうひとつある。前進回転同士の安定系の破壊だ。カットマンとの試合など特別な場合を除き、卓球選手同士の速いラリーでは、打球の瞬間に回転の反転が起こっている。裏ソフトラバーの場合、ボールとラバーはほとんど滑らないので、回転しているボールがラバーに当たると、ラバーの表面がボールの回転方向に引っ張られて変形し、その変形が元に戻る過程でボールを押し出して逆の回転がかかるのだ。相手の回転が大きいほど打球後の回転も大きくなる。卓球のボールの回転を作り出しているのはラバーの摩擦力と弾性なのだ。

 攻撃選手同士が速いボールを打ち合うとき、自らのスイングに加えて、お互いが相手の前進回転を利用して前進回転をかけているのであり、そこでは一種の安定系が成立している。伊藤の無回転強打は、その安定系を壊すボールであり、相手を前進回転のメリットを使わない世界に強引に引きずり込む行為なのだ。

 以上のように伊藤が行う無回転強打には、速さ、低さ、前進回転の安定系の破壊という大きな威力があるにもかかわらず、多くのトップ選手はこの打法を採用しない。そのためこのようなボールに対して練習をする機会が少なく、それが余計に対応を困難なものにしている。

 

トップ選手でも「難しすぎて入らない」

 多くのトップ選手がこの打法を使わない理由は、言うまでもなく難しすぎて入らないからだ。実際、スウェーデンオープンの翌週に行われたオーストリアオープンで伊藤は2回戦で敗退している。神ならぬ伊藤が奇跡のプレーを再現し続けることは不可能に近い。当のスウェーデンオープンでも、準々決勝の劉詩ウェン戦の前半は伊藤のバックハンド強打がことごとく入らず、ほとんど負けかかっていた。もしも第5ゲームの8-8からの劉詩ウェンのサービスミスがなかったら、11-11からの伊藤のエッジボールがなかったら、伊藤は1-4で負けていたかもしれないのだ。

2021.08.05(木)
文=伊藤条太