直感的にわかるように、速いボールほど直線的に飛ぶ。打点が十分に高ければ、全力で打った直線的なボールでも相手のコートに入れることができる。これがスマッシュだ。しかし高いボールはそうそう来ないから低い打点を余儀なくされる。打点が低いほど、直線的な軌道で相手のコートに入れることは難しくなるため、ボールを遅くして軌道を山なりにするのが一般的だ。

 ところがボールに「ドライブ」と呼ばれる前進回転をかけると、空気抵抗によって軌道が極端に山なりになり、コートに入る確率が飛躍的に増すのだ。ドライブこそは、速いボールをあたかも遅いボールのように安全に相手のコートに入れることができる理想的な打法なのだ。だから現代のほとんどの攻撃選手はドライブをその打法の中心にし、もっとも効率よくそれを実行できる裏ソフトラバー(表面が平坦なタイプで「表」ラバーを裏返したもの)を使う。卓球のテレビ放送でアナウンサーがスマッシュと言う場面の多くが実際にはスマッシュではなくドライブである(ラケットを卓球台より下から振り上げるので容易に判別できる)。

 

なぜ伊藤は「ドライブ」ではなく「無回転」を使うのか

 伊藤の無回転強打は、そのドライブによる安定の効果を使わないことを意味する。しかも伊藤は相手に時間を与えないために、ボールが弾んですぐの低い打点でそれを行う。相手に近く、なおかつ低い位置から直線的な軌道で相手のコートに入れるのは絶望的に難しい。ネットすれすれを通過し、重力によってわずかに沈み込んでコート一杯に入る軌道だ。少しでも下にズレればネットミス、上にズレればオーバーミスとなるため、針の穴を通すようなコントロールが要求される。もちろん、確率を度外視すれば他の選手でもまったくできないことではない。何回かに1回は入る。バスケットボールやサッカーの超ロングシュートのようなものだ。その超ロングシュートを立て続けに入れるようなプレーが、伊藤がスウェーデンオープンでやってのけたことなのだ。決勝で伊藤のプレーに呆然とする朱雨玲の表情は「冗談じゃない、こんなプレーが連続してできてたまるものか」と言っている表情なのだ。

2021.08.05(木)
文=伊藤条太