「自分のイライラを人にぶつけている」と父に言われ……
福之助さんが三代目として現在の名を襲名されたのは2016年。父の八代目芝翫襲名に合わせてのことで、兄の四代目橋之助、弟の四代目歌之助との四人同時襲名。
10月から2か月連続で行われた歌舞伎座での襲名披露は、とても華やかで活気に満ちたものでした。その後、襲名披露は各地で行われ、かつての名子役は青年歌舞伎俳優として一気にその名を知られるようになったのです。
「地方の会館を巡る襲名披露公演の時に(中村)梅玉のおじさまが食事に連れて行ってくださったことがあったんです。
そして『この襲名披露が一段落したら、福之助には苦しい時期が来ると思うけれどそこで何をしているかが大切なんだよ』とおっしゃってくださいました。
ちょうど大人の役がつき始める年齢と襲名が重なったことで、“襲名マジック”じゃないけれど僕はいきなりいい役をさせていただいていたんです」
大先輩である梅玉さんの言葉は現実となり、舞台の中心から遠のいた役が多くなっていきました。苛立って父の芝翫さんと衝突してしまったこともあるそうです。
「その時に父から『お前は自分のイライラを人にぶつけている』と言われ、何も言い返せませんでした。実際、その通りだったんです」
精神的には不安定な状態ではありましたが、梅玉さんの言葉を胸に踊りの稽古に励んだり歌舞伎だけなくさまざまなジャンルの演劇を観に行ったり、福之助さんは自分磨きを怠ることはありませんでした。
大きな転機となった『新版 オグリ』への出演
そんなある日、市川猿之助さんが手がける『新版 オグリ』がいよいよ具体的に始動する時がやって来たのです。それは大ヒットした『ワンピース』の次回作として上演されるスーパー歌舞伎Ⅱです。出演こそ決まっていたものの、漠然としたイメージでしかなかった舞台がみるみる形になっていったのです。
「自分はそれまで父親と一緒の舞台がほとんどで、猿之助のおにいさんとは舞台でのご縁がほとんどありませんでしたから、お話をいただいた時は驚きました。うれしかったです。
実は少し前から“父におんぶにだっこ”の状況から抜け出なくてはと思っていたんです。自分が守られていると甘えてしまうタイプだということはわかっていましたので」
チャンス到来! 秋からの東京公演に向けての稽古が始まったのは2019年夏のことでした。
「本水の立廻りには最初、僕は出る予定ではなかったんです。稽古場である時おにいさんが『福之助も一緒に入ろうか』とおっしゃってくださって。そして『歌舞伎の色を出せるのは歌舞伎役者だけだから、自分が立廻りをする意味を考えてやってほしい』と」
スーパー歌舞伎Ⅱには歌舞伎俳優だけでなく、さまざまスキルを持った俳優さんも出演しています。アクロバティックなアクション主体の動きと歌舞伎の伝統の中で培われて来た立廻りとが、互いを照射しながら融合した場面はこの作品の大きな見どころです。
「その時に梅玉のおじさまの言葉を思い出し、改めて感謝しました。役がつかなかった時に投げやりになって何もしていなかったら、きっと手も足も出なかったと思うんです」
福之助さんが演じたのは、猿之助さん演じる主人公・オグリの元に集まった仲間のひとりである小栗四郎でした。
「東京での初日におにいさんの部屋へ挨拶に伺ったら『将来、これが出世作になったと言われるように頑張ってね』とおっしゃってくださいました。すごくうれしいのと同時に重い言葉だと思いました。
それで緊張してしまうかと思ったんですが……。意外にそうでもなかった。楽しい! の方が勝っていたということなんでしょうね」
大量の水を全身で受け止めながら、歌舞伎俳優としてこれまで培ってきたものを存分に発揮して大活躍。福之助さんは割れんばかりの拍手に包まれ、猿之助さんの期待にみごとに応えたのでした
そして公演が終わってしばらくした時、芝翫さんから『あの時言った言葉を覚えている?』と尋ねられたそうです。
「オグリには自分より後輩も出ていて、稽古や舞台を共にするうちにしっかりしなくては! とより強く思うようになり自分の中に責任感が芽生えていきました。
そんな僕を父はちゃんと見ていて『変わったね』と言ってくれました。そして自分でも変われるんだな、と思いました。
そういう意味でも非常に思い入れのある作品となっただけに、南座公演の中止は本当に悔しかった……。いつかまたやれる日が来たらと願っています」
2021.07.16(金)
文=清水まり
撮影=今井知佑