韓国映画作りのスケールは日本と段違いで上なのが現実

――今回の現場で、韓国映画の力を感じたことはありましたか?

オダギリ それは前から感じていました。僕が最初に韓国映画に関わったのは10年くらい前だと思いますが、その時点で日本映画との差はついていました。

――どんなところで?

オダギリ 国が力を入れていることが大きいのかなと思いますが、韓国独自の路線というよりは、ハリウッドを目指したシステムになっているなと感じました。キム・ギドクは独自の路線に行ってましたけど。

 例えば、撮影期間やお金のかけかたが、日本とは比べものにならない。日本の撮影期間は長くても1カ月半くらいですが、『マイウェイ 12,000キロの真実』は1年近くかかりました。映画1本に対するバジェットが大きいことでそれだけ時間をかけられるし、妥協のない作り方ができる。結果は大きく差が開きますよね。

――オダギリさんのスケジュールを1年拘束できる予算があるということですね。単純計算ですが、韓国映画1本に日本映画10本分の予算がある。

池松 韓国で公開される国産映画は年間で40本前後と聞きます。日本は洋画もあわせて年に1,500本ほど公開されています。それだけ誰も目にしないまま終わる映画が大量にあるということですし、制作の面では、お金と時間と心と頭脳が分散されてしまうということです。

 このことによる自由さと、働ける人がたくさんいるというメリットもありますが、韓国は残酷なまでに大改革をし、映像産業で世界と闘うための努力と、それを合理化してきた。一方日本は個人は努力しつつも、韓国とは真逆のことをゆっくり選んできてしまい、そのことによって今至る所で悲鳴が聞こえ、全体としての力を落としてきました。

 韓国は映画を国策として打ち出した20年ほど前に、ポン・ジュノを筆頭に国が援助をし、メジャーとインディペンデント両方にお金が回るシステムを作り上げた。そして世界で初めてフィルムを捨てた国でもあるんです。それと同時にあらゆる職人を切って、一気に年齢を若くしました。今の韓国映画界の真ん中にいるスタッフは、映画に対する“誇り”のようなものがとても強くキラキラしています。

 もちろん、今の日本にも誇りを持って映画を作っている方はいますが、真の誇りを持ち合わせている人にはどこか衒いと諦めと矜恃とが混在しているような印象があります。

 韓国のスタッフからは、「俺たちは映画をやっているんだ!」という、強い自信と明るさを感じました。何より映画が最高峰のものだという世間の認識とそれに伴う真実も大きいと思います。つまり一言で言うと、「夢がある」ということです。もちろん、韓国社会の現状や行く末を不安に感じ、映画に含まれる内容的な部分、人間的なメッセージがどんどん伝わらなくなってきていることを感じて苦しんでいる映画人もいます。それは日本と同じです。

2021.06.30(水)
文=須永貴子
撮影=佐藤 亘
スタイリスト=西村哲也(オダギリさん)
ヘアメイク=FUJIU JIMI(池松さん)、砂原由弥(オダギリさん)