京都で“わな猟師”として生きる男性を追った映画『僕は猟師になった』で、ナレーションを担当した池松壮亮。2020年7月に30歳を迎えた彼は、発信する者としての責任を強く感じているという。

 生きること、食べること、映画を作ること――すべてはつながっている。その強い想いを語ってくれた。


生きる姿勢のヒントが ここにはある

――まずナレーションを担当するに当たって感じたことを教えてください。

 ひとえに猟師である千松信也さんの生きかた、歩みかた、考えかたに、共感などと言うとおこがましいですが、感動しました。

 森の哲学者という呼ばれかたをされていますが、それは誰かがつけたもので、ご本人にはそんな気はまったくない。

 千松さんは自分のルール、自分の倫理観に則って生き物と対峙しているだけで、それをひけらかす気も、誰かに強要するつもりもないんです。

 千松さんが猟師になったきっかけのひとつは、生き物がもともと好きで、普段自分が生きるために生き物の肉を食べているけれど、自分で殺したことはないことにどこか違和感があった、というもの。おそらく自分自身が無責任に感じてしまったのではないかと想像します。

 肉を食べるということは、生き物を殺さなければならない。僕達は自分では生き物を殺さないのに、肉が好きで日々限りなく欲している。まるでどこからか好きなだけ湧いて出てくる無限の産物のように。

 千松さんの生きかたや思想を考えると、そんな自分自身が傲慢に思えてしまったんです。もっと生き物に対して、謙虚な姿勢が必要なんじゃないかと。

 肉に関してだけでなく、地球を支配してしまった人類のひとりとして、生き方、考え方を今、見直していくべきではないかと感じました。
 
――千松さんは家族と近しい人の分だけしか、肉を獲らない。私も肉は好きですが、現在の食肉事情には、どうしても矛盾がありますよね。そこもこの映画は捉えています。極端かもしれませんが、ベジタリアンになる、ということを考えたことはありますか?

 日本ではまだまだ問題視されていないように見受けられますが、世界ではどんどん増えてきていますよね。

 僕自身もそれについては考えますが、一個人、僕自身の健康を鑑みてベジタリアンになることには今のところ全く興味が向かないのですが、未来の地球、自然との持続可能な共生、話題のサステナブルというやつですね。そのためなら最悪ビーガンになってもいいかな、と考えることはあります。

 おそらくこのまま人が家畜を増やして、肉を過度に欲し続ければ、地球は二酸化炭素の排出量という面で保てなくなる。

 そうなると食だけでなく、あらゆる生態系の維持、未知の病気、更なる気候変動など、様々なトラブルがドミノ倒しのように発生すると言われています。開発が進んでいる培養肉がそろそろ市場に出回ってくるとも聞きます。

 様々な人の考えはありますが、今回のパンデミックも、人の欲望が引き金になったことは否定出来ないと思います。僕は俳優という職業柄、すぐには千松さんのような生きかたは選べないけれど、生きる姿勢のヒントがここにはあるんじゃないかと、ハッとしました。

2020.08.23(日)
文=石津文子
撮影=榎本麻美