“肉好き女子”って煽るけど 本当に大丈夫なのかなって
――以前から、そういう危機感があったんでしょうか?
僕は研究者ではないし、知り合いにそういう人がいるわけでもないので、具体的な数値としてどれくらいいけないのか、どこまでいけないのかということは分からないのですが、何かこのままでいいのかな、やばいんじゃないかな、ということは薄々感じています。ナレーションをしたのは1年近く前ですから、まだ新型コロナのパンデミック前でしたけど。
ただ、僕も含めて多くの日本人はまだ当事者ではないという感覚があると思います。
でもそもそもどんな悲劇も、これから来ますよ悲劇! とは誰も教えてくれない。誰も予測出来ないものですよね。
非常に曖昧で、なんかやばいと思ってたけど考えても答えは出ないし、そんな暇ないし、自分ひとり変わったところで効果ないだろうし、ほっといたら突然、あるいはいつの間にか、というのがあらゆる悲劇の顛末だと思います。
薄々感じているかた、悪夢の可能性に危機感を感じて行動に移しているかたは少なからず日本にもいると思うのですが。
“肉好き男子”や“肉好き女子”など、平気で人々は“人間の幸せハッピーキャンペーン”のようにどんどん煽るけれど、「本当に大丈夫なのかな?」と根拠を持たない心配をしてしまいます。
とは言え、僕も肉を食べてこれまで生き延びてきましたし、焼肉だって好きです。
だからと言ってそのときに、肉を自分で獲ってきて、自分の両手でさばいたりすることはないわけです。
映画本編では、千松さんが鹿にまたがって、鹿の心臓に向かってとどめを刺す場面があるのですが、そこで鹿の目線にカメラが入ります。
鹿の泣き声、死を拒む心臓の音が聞こえて、それから千松さんが鹿のお腹に手を置いて、心臓が止まるまでおそらく数十秒間静かに待っている。その画は衝撃的でした。
僕は平成生まれで、圧倒的に食には困らずに生きてきたと思います、そこに命を受け取るような責任を感じたことも、本当の意味ではおそらくなかったと思います。
特に今日、日本の食は洗練されていて、肉の臭み、命の生々しい味を取り除いてくれる傾向にあると思います。
非常に親切な国に生まれ、すくすくと育ったわけですが、そのせいでいつしか僕自身が、根本にある大切なことを忘れてしまっていたような気がしてなりませんでした。
千松さんと同じことをやれと言われてもなかなか出来ないけれど、狂ってしまっていた自分の食に対する価値観をもう一度見直すと共に、“足るを知る”という生きかたを、今一度見つめ直し考え直していかなければならないなと思いました。
2020.08.23(日)
文=石津文子
撮影=榎本麻美