当然、EUとしては、「英国の製薬会社であるアストラゼネカ社がEUよりも英国を優先した」と怒りが収まらない。だが、実は同社の対応に違いが生まれた原因は、「契約書の細かい文言」にあった。
もし約束通りのワクチンを供給できなかったら?
アストラゼネカ社と英国が結んだ契約書には、英国が購入したワクチンに対して、「そのサプライチェーンが適切で充分であること」を約束する条項が含まれていた。このコミットメントが破られれば(=英国が購入した約束の分量が何らかの理由で供給されなければ)、英国は契約を打ち切ることができる、ということだ。この条項があるため、アストラゼネカ社は、もし英国向けに不足分が生じたら、何らかの形で自身で補填せねばならない。
他方、EUとの契約にはこの種の文言は含まれていなかった。アストラゼネカ社が約束のワクチンを供給できなかった場合、EUは未納分については支払いを行わない、という程度で、アストラゼネカ社を告訴する権利も放棄していた。
さらに「英国法」と「ベルギー法」という、それぞれの契約が依拠している法体系の違いも大きく影響している。英国との契約は「英国法」に則っており、契約を結んだ両者が「契約書の文言通りに義務を遂行したか」に重点が置かれる。他方、欧州との契約書は「ベルギー法」に則っており、「両者が最善の努力をしたか、善意を持って行動したか」に重点が置かれる。つまり前者では物を届けなければ罰則が生じるが、後者はベストエフォート(最善の努力)の結果であれば許容されるのだ。
いずれにせよ、英国は、「ワクチン開発」だけでなく、ワクチンが開発されたとしても当初は需給が逼迫することを見越して、そのワクチンを自国が実際に入手できるかどうか(=「ワクチン供給」)にも最大限の注意を払った。それゆえに、英国は「ワクチン戦争」に勝利できたのだ。まさに英国一流の「したたかさ」である。
4月26日のEUの訴えに対して、アストラゼネカ社は、〈「欧州委員会との事前購入契約を完全に順守している」とし、争う意向を表明。訴訟には「利点がない」とし、「この紛争をできるだけ早く解決するこの機会を歓迎する」と述べ〉、〈同社のパスカル・ソリオ最高経営責任者は、EUとの契約で生じる義務は「最大限の合理的な努力」に限られると主張している〉(APF通信、4月27日付)。
2021.05.25(火)
文=近藤奈香