当然、彼らの車は速度が遅い。うしろについて焦(じ)れていると、運転席の窓から突き出された左手がそよぎ、「先に行け」と合図を送ってくる。ナンバープレートには〈リタイア〉や〈ホーム〉といった文字が、しばしば刻まれていた。知り合いの弁護士などは、「固定資産税が安くなる」と真顔で主張していたものだ。
だが、『ノマドランド』の主人公ファーン(フランシス・マクドーマンド)のケースは、そんなにのんきではない。60歳を過ぎた彼女は、少し前までネヴァダ州エンパイアにある〈USジプサム〉という石膏採掘場の社宅に夫と暮らし、代用教員の仕事を得ていた。
2011年、リーマン・ショックのあおりを受けて採掘場が閉鎖された。町の郵便番号は削除され、ファーンの夫は病没した。子供はいない。年金はわずかだ。家を離れようと、彼女は決める。古びたヴァンに最低限の日用品を積み、季節労働者として働きつつ、アメリカ西部を漂流する生活に足を踏み出す。
きびしいなあ、という感想はすぐさま浮かぶ。人生の午後7時を過ぎて、彼女はなぜ、苛酷な道を選び取らなければならないのか。
体力は衰えている。経済的な余裕からはほど遠い。家族はいない。それでも彼女は、荒野を移動しつつ車上生活を送る。ネヴァダ、サウスダコタ、ネブラスカ……。ヴァンのステアリングを握り、缶詰のスープを温め、車内のバケツで用を足し、寒さに歯を食いしばって毛布にくるまる。
孤立、寂寥、貧困といった出来合いの単語は反射的に浮かぶ。が、それでくくれるほど事態は単純ではない。社会学や心理学で裁断できない「人の営み」は、世の中に数多くある。
監督のクロエ・ジャオは、82年に北京で生まれ、イギリスのブライトンで育ったあと、ニューヨークで映画を学んだ人だ。
前作『ザ・ライダー』(17)でもそうだったが、彼女の作品には、うしろ姿のショットが多い。たそがれどきの荒野をロングショットでとらえた映像もよく出てくる。『ノマドランド』でも、ファーンのうしろ姿は眼に残る。日没直後の、淡いピンクの光に染め上げられた荒野も印象的だ。
2021.04.29(木)
文=芝山 幹郎