なんという華麗なカムバック。

『ミナリ』の脚本を書いた2018年夏、リー・アイザック・チョン(42)は、映画監督を諦め、大学講師にキャリア転向しようとしていた。2007年の長編映画デビュー作『Munyurangabo(日本未公開)』はカンヌ国際映画祭で上映され、インディペンデント・スピリット賞にも候補入りしたのだが、その後は芽が出ず、家族を養うために現実的な選択をしたのである。それでも未練のあるチョンは、最後にもう1本だけ脚本を書いてみようと思った。それが、自らの子供時代の経験に緩やかにもとづく『ミナリ』だ。

左からアラン・キム/スティーヴン・ユァン ©2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.
左からアラン・キム/スティーヴン・ユァン ©2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.

 しかし、アイデアはすぐに浮かんだわけではない。それをくれたのは、意外にも、チョンが読んだこともなかったアメリカの女流作家ウィラ・キャザーだった。何を書けばいいかわからずぼんやりしていたチョンは、なぜか心の中で「ウィラ・キャザー」という声を聞いたのである。

 直感に従ってキャザーの本を読んでみると、ネブラスカの農家を舞台にしたその話は、チョンが強く共感を覚えるものだった。最初はこの作品を映画化しようと思ったが、以前から娘に自分の生い立ちをきちんと語ってあげたいと思っていたチョンは、そこから少しずつ自分の思い出を書き出していくことになる。

「謎の声は、本当に聞こえたんだ。人にどう思われるか不安で、この出来事はあまり話したくなかったんだが、それが真実。ライターにとって、アイデアは貴重。デビッド・リンチも、アイデアは希少だから、見つけたらなんとしても逃してはならないと言っている。『ウィラ・キャザー』という心の声を聞いた時、僕は素直にそれに従ってみようと思った。そこから自分の人生を振り返ることになったんだ。いつか自分の過去を語ってみたいという漠然とした想いは、こんな形で後押しされることになったんだよ」

2021.04.01(木)
文=猿渡由紀