第93回アカデミー賞の授賞式が4月25日(現地時間)に開かれ、最有力候補と目されていた『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督)が作品賞・監督賞・主演女優賞の3部門を制覇した。

 評論家の芝山幹郎氏は、同作の魅力は「フィクションとノンフィクションの境界がゆっくり溶けはじめる瞬間」にあると語っている。それは一体どういうことなのか――。4月26日発売の「週刊文春CINEMA!」より、同氏による『ノマドランド』解説を特別に全文公開する。

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 1980年代の末、カリフォルニアとネヴァダの州境に近いデスヴァレーを車で走っていて、激しい落雷に遭遇したことがある。

 バッドウォーターとかデヴィルズ・ゴルフコースとか、この一帯には恐ろしげな名の荒地が多い。そんな場所に雷が落ちると、やはり迫力がちがう。谷を囲む山々の峰に、黒ずんだ空を切り裂いて稲妻が走るのだが、その本数は1ダース前後にも達する。

 私は、車のアクセルを踏み込んだ。君子危うきに近寄らずといえば聞こえはよいが、要は臆病風に吹かれ、一刻も早く危険地帯から遠ざかりたかったのだ。

 そのとき、妙な光景が眼の隅をかすめた。幼い少年とその子の父親らしい男が肩を並べて道端に坐り、稲妻の降り注ぐ山巓(さんてん)を指さしているではないか。しかもふたりは、楽しげに言葉を交わしている。

 なんだ、あれは。私はアクセルから足を浮かして減速し、眼をこすってふたりの姿を見直した。父は子の肩に右手をまわし、ゆったりと顔を上げている。

 怖くないのか。平気なのか。自問したあとで私は気づいた。そうか、これがこの土地の花鳥風月なのか。私がひるんだものを見て、彼らは美や親しみを感じている。『駅馬車』(39)や『ワイルドバンチ』(69)の映像も脳裡に浮かんだ。たしかに、荒野とはアメリカ最高の抒情にちがいない。

『ノマドランド』を見ながら、私はそんな光景を思い出していた。

 ノマド(遊牧民)の生活は、アメリカの伝統だ。80年代にも、モーターホーム(大型のキャンピングカー)に乗ってフリーウェイをゆったり移動する人々の姿は珍しくなかった。

2021.04.29(木)
文=芝山 幹郎