子どもたちがやるべきことだから

 頼まれれば助けることもあったが、そのときはお互いに楽しんでやった。プロジェクトになると、ほかの親たちはずいぶんと手を出していたけれど、わたしは気にかけなかった。娘たちには、「あなたを信じているし、あなたなら上手にできると思う。どんなものでも、あなたの作品ならわたしは満足よ」と言っていた。娘たちが助けを求めたら、もちろん手を貸したけれど、主導権は娘に持たせた。わたしが娘の分まで何かをやってあげることはなかった。

 栄養士でトップモデルでイーロン・マスクの母親でもある、メイ・マスクと話しているうちに、わたしたちが同じ考えなのがわかった。彼女も子どもの宿題をチェックしたりはしなかった。と言うより、できなかった。食べていくために5つも仕事を掛け持ちしていたからだ。親のサインが必要な宿題があるときには、子どもに親のを真似させて、サインさせていた。「時間がなかったの。それに、子どもたちがやるべきことだから」。そう彼女は言っていた。

 子どもに必要なのはそれだ。常にコントロールされ保護されることではなく、自分の人生に責任を持たされることが必要なのだ。

 つまり、親の立場で言うと、幼いころから頻繁に子どもに責任を与えることが必要になる。言い換えると、親が後ろに引き下がるということだ。導いたり、教えたりすることは必要だが、親が思うよりも子どもははるかに幼い年齢から、もっとたくさんのことができる。

子守り、皿洗い、買い出し……子どもにどんどん家事をやらせるべき

 スーザンは18カ月のころからわたしの公式のお手伝いさんだった。当時まだ赤ちゃんモニターはなく、家は広かった。だから、スーザンが赤ちゃんモニターがわりになった。ジャネットが泣きだすと、スーザンが「ママ、ジャネットが泣いてる!」とわたしを呼んでくれた。スーザンはまだはっきりと話せなかったけれど、役目は果たせた。スーザンは責任を任されたことに誇りを持っていた。そして大切な家族の一員だと感じていた。オムツをたたむのも手伝ってくれた。スーザンにとってみればゲームのようなものだった。

 少し大きくなると、スーザンは「ジャネットの先生」になった。ジャネットにおもちゃを与え、ガラガラの使い方を教え、いつも何かの活動ができるよう見張ってくれた。ジュネーブ時代は、スーザンがつぶしたバナナをアンに食べさせているのを見るのが楽しかった。バナナのほとんどはアンの顔に張りついていたが、スーザンはほんの少しでも家族に貢献できて喜んでいた。

2021.04.19(月)
文=エスター・ウォジスキー