イーロン・マスクの母と意気投合。「親は子どもの宿題をしてはいけない」
もう何十年というもの、カリフォルニア州では4年生になると全員が「ミッションプロジェクト」に参加することになっている。このプロジェクトは社会科学習の一部で、カリフォルニア州の歴史を生徒たちに教えることを目的にしている。やることは単純だ。角砂糖で伝道所のミニチュアを作ること。と聞くと、歴史を身近に感じられる、楽しそうなプロジェクトに思えるかもしれない。
ところがどっこい。見事なミニチュアを提出する生徒もいる。細部まで凝った芸術作品と言えるようなものだ。アーチを描く回廊、鐘楼、とんがった瓦屋根。でも作っているのは誰だろう? 生徒ではない。たいていは父親だ。
今どきの親たちは負けず嫌いで、何にでも手を出したがる。まさかということにまで、手も口も出してくる。子どもたちが自分でやらないことがわかっているので、このプロジェクトをやめてしまった教師もいるほどだ。親のためにプロジェクトを続けても意味がない。子どもにやらせてくださいと前もって親に注意する教師もいる。それで万事解決すると思われそうだが、例外もいる。多くの親は協力してくれるが、たまに博物館に所蔵したほうがよさそうな見事なミニチュアもある。誰が作ったのかは一目瞭然だ。
娘たちが4年生になったときには、3人とも自分で伝道所を作った。娘たちの作品を学校に持ち寄って、同級生たちの作品を見るまで、手伝うことなど思いもよらなかった。同級生の作品と比べると、アンの作った伝道所は、地震で崩れかけているように見えた。わたしは心の中で、歴史的リアリズム作品を作った娘を褒めてあげた(編集部注:地元住民の手で築かれた石造りの教会が地震によって崩壊し、信者が圧死した歴史を持つ伝道所がカリフォルニアに存在する。悲劇を忘れないために、現在その伝道所はモニュメントとして当時のままの姿で保全されている)。
わたしはいつも、宿題は娘にまかせていた。娘の宿題なのだから。みんなそれぞれの個室に大きな机があり、午後はそこで宿題をしているのはわかっていた。わたしが何も言わなくても、娘たちは自分から宿題を済ませていた。それが習慣になっていたからだ。もちろん、当時は携帯電話やタブレットなどに気を散らさずにすんだ時代だ。とはいえ、娘たちは宿題をやることも授業についていくことも、好きでやっていた。もし宿題をやらなかったとしても、それは娘たちの問題だ。
2021.04.19(月)
文=エスター・ウォジスキー