池辺 私は出不精なんですが、たまに散歩をした時に見上げた空がきれいだと、ぶわーっとシーンが浮かんだりして。そういうシーンが浮かぶと、そこに向かって描いていくこともあります。
キャラクターもだいたい1人歩きしてしまうことが多いです。今回、田岡さんのキャラクターが途中から変わってしまったのも、「記憶の取り出し」というイメージが浮かんでしまい、キャラクターを一新しなくてはいけなくなったのが原因です。当初の設定が好きだったので、自分で考えていたら変わらなかったかもしれません。
──『どぶがわ』も流れを一切決めずに描いた作品だとお聞きしました。
池辺 はい。『どぶがわ』は、自分では一切先を考えず、浮かぶままに描いていました。一話一話勝手にシーンが頭の中に流れてきたので、絵をネームで切るだけで、すごく早くできたんです。自分は何もしない、流れにまかせるというのが1番いいと私は思っているんですけど、シーンが浮かんでこなくて自分で必死に考えてしまうと、自分で読んでいても「これ苦しくなるな」という流れになっていくのでボツ、ボツってなります。
薫っていたソメイヨシノの葉っぱ
──今回の作品も、“降りて”きたのですか。
池辺 今回は、最後の廃棄所のシーンが浮かんできたので、そこに向かって描いていきました。自死する人の話を描いたのも、浮かんできたからです。
とはいえ、自死はいけないという強い思いが私自身にあって、「これを描いてしまったら自死を肯定することになるのでは」という葛藤はありました。でも、世の中には自死した方の家族もいますよね。
もちろん、自死した方にも泣いたり笑ったりしてきた人生はあったので、その人生に重点をおきたいと思って、自問自答しながらですが、描くことにしました。表現に足りなさはあったと思いますが、AIという設定にしたことで、結果的に命がないものから命がある者を見つめることができ、より命のことを描けた気がします。
2021.03.18(木)
文=相澤洋美