日光の自然に溶け込んだ極上の公共の宿

編:公共の宿というと、料金が安い分、建物もお金がかかっていないという印象がありますが。

稲葉:著名な建築家が設計したと聞くと料金が高そう、と同時に今度は、料金が安いとその建物は安普請なのではないか、という印象がまだまだ根強いと思います。でもそれは全くの誤解なんです。

 著名な建築家が設計した宿でも駄作はあります。それは美醜という曖昧な基準ではなく、単純に、遮音性に問題があったり、ゲストのための最低限のプライバシーが確保できていなかったりと、泊まれば誰でも気づく問題がある、という点での駄作ですね。

 この点は、豪華絢爛に飾り立てられたホテルや旅館でも同様です。お金がかかっていそうな建築の宿でも、残念ながら居心地が悪かったり、落ち着かなかったりするケースは少なくないと思います。

編:そうなると、建築選びという視点でのホテル選びは、ますます難しく感じてしまいますが。

稲葉:ですので、この連載が貴重なんですね(笑)。

 話を清家先生設計の宿に戻しましょう。日光の奥の奥、湯元にある休暇村日光湯元なのですが、この宿は大自然の中に、まさに溶け込むようにして建っています。

編:ここでもまた、教授兼建築家らしいエピソードがあったりするのですか?

稲葉:この宿の設計作業にとりかかる前に、清家先生はアンケート調査を試みました。既存の休暇村施設において宿泊客がどのように過ごしているのか、その過ごし方と、この敷地における四季の移ろいについて十分把握したうえで、設計にとりかかったのです。

編:まさに研究者らしいアプローチですね。

稲葉:アンケートでわかったことは、食事の時間が平均して30分ほどと短く、さらに、食べ終えると多くの人がさっさと自分の客室に戻ってしまうということでした。

 そこで清家先生は、せっかく、奥日光ならではのすばらしい自然が周囲に残されているわけだから、レストランでも、その後に寛げるロビーラウンジでも、できるだけ自然に向けて視野が広がるような、窓の広い建築を設計したわけです。

編:たしかに、稲葉さんの撮られた写真を見ると、すぐ目の前に緑の景色が広がっていますよね。

優雅な食事とくつろぎの時間を宿泊客に用意

稲葉:ここで早朝に散歩したら、最高の心地よさですよ。そして朝ご飯や夕ご飯を終えてからも、のんびりくつろげる魅力的なロビー空間を用意したわけです。

 屋根の形状そのままの吹き抜け天井の大空間に、窓を大きくして、暖炉を設けて、その暖炉の周辺に座り心地のよい椅子を並べる。いわゆる「清家式ロビー」が、この公共の宿でも実現されています。

編:本当ですね。説明を聞いてから写真を見直すと、ザ・プリンス 軽井沢のロビーと兄弟のようなロビー空間がありますね。

稲葉:はい、よく似ています。でも両者で大きく異なるのが、日光湯元には、軽井沢以上に過酷な冬季の寒さがあることです。

 窓面積を広くすると、どうしても断熱性能が弱まってしまう。ここは標高1500メートルの高冷地ですから。そこで清家先生は、ロビーには床暖房と、壁に埋め込んだパネルの中に温水を循環させる、輻射式の加熱機を併用したんです。

 廊下にも客室にも同様に、窓下に暖房の機械を設置することで、館内のすべての場所で、身体に優しく快適な空間が実現されています。

快適な移動を実現する、計算された設計

編:なんだか、うかがっているだけで、快適な宿であることが伝わってきます。

 敷地については、いかがですか? 名人らしい読み解きみたいなものはあったのでしょうか?

稲葉:この敷地は、もともと背面のスキー場から湖に向けて流れる雨水の通り道だったんです。そこに大きな建築を建ててしまうと、その水の流れを堰き止めてしまいますよね。

 そこで建物の一部を浮かせることで、雨水の流れを維持させると同時に、敷地の高低差を利用して、2階をエントランス・ロビーにすることで、1階のレストランや大浴場にも、3階建ての客室棟にも、エレベーターを利用しなくても楽に移動できるように計画したのです。

編:敷地の高低差や、そこに潜む水の流れなど自然の条件を加味して、それをそのまま活かした計画が、結果として、訪れるゲストにとって快適な計画になったのですね。

稲葉:おっしゃる通りです。清家先生は敷地読み解きの名人という意味、伝わったでしょうか?

編:読者の方々にも、きっと伝わっているかと思います。

稲葉:ホッとしました(笑)。

編:ありがとうございました。さて、次回は?

稲葉:次回は、ホテルに関する設計実績40数回を誇る、またまた僕自身が大好きな建築家の代表的なホテルをピックアップしてお話をさせて頂きたいと思います。

編:これはまた、楽しみですね。引き続きよろしくお願いします。

ザ・プリンス 軽井沢

所在地 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1016-75
https://www.princehotels.co.jp/the_prince_karuizawa/


休暇村日光湯元

所在地 栃木県日光市湯元
https://www.qkamura.or.jp/nikko/

©SeizoTerasaki

●教えてくれたのは……
稲葉なおとさん

紀行作家・一級建築士。東京工業大学建築学科卒。国内外の名建築ホテルに500軒以上泊まり歩いた経験を元に、旅行記、小説、児童文学、写真集を次々と発表。JTB紀行文学大賞奨励賞受賞。日本建築学会文化賞受賞。作家デビュー20周年記念・お仕事小説『ホシノカケラ』がベストセラーに。最新刊は長編歴史ノンフィクション『夢のホテルのつくりかた』。「バカリズムの大人のたしなみズム」(BS日テレ)に「建築のたしなみスト」として出演。
https://www.naotoinaba.com/
Instagram:https://www.instagram.com/naoto.inaba/

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