日本以外の外国で日本美術を見るのに一番適した場所は、ロンドンの大英博物館でも、パリのルーヴル美術館でもなく、アメリカ東海岸、ボストン美術館を措いて他にはない。「在外二大絵巻」をはじめ、古代から近世にいたるまで、国内にあれば国宝指定間違いなしの最高水準の日本美術がどっさり揃っているからだ。しかしなぜボストンに日本美術が?
アメリカ人コレクターがたどり着いた黄金の国
建国間もないアメリカに美術コレクターが生まれ、彼らが異国の美術品の収集に乗り出した時、アフリカや中近東、中国のめぼしい美術品は既に、ヨーロッパのコレクターたちに根こそぎ浚われた後だった。アメリカのコレクターたちが冒険家のように目指した未踏の地こそ、東の果ての黄金の国・ジパングなのだ。
ちょうどその頃、日本では「廃仏毀釈」と呼ばれる仏教排斥の嵐が吹き荒れていた。寺院の廃止や仏像・仏具の破壊が横行、破壊を免れたとしても、寺領を没収され、経済的な基盤を失った寺からは超一級の仏教美術の流出が相次いだ。こうした美術品をエドワード・モースやアーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローなど、お雇い外国人として、あるいは収集を目的に来日したアメリカ人たちがひとつずつ拾い集め、それらをもとに、ボストン美術館に有数の日本美術コレクションができあがったのだ。
日本を愛し、日本美術を愛した多くのアメリカ人、日本人たちは、それが生まれた国の外へ作品を持ち出すことに、なんのためらいも感じなかったわけではない。フェノロサは自身の蔵品に対して、もし日本政府に買収の意向があれば、それに応じるのが人間としての務めではないかとモースに書き送り、岡倉天心は西洋と東洋はよく理解し合うべきであり、そのためにこそボストン美術館のコレクションを充実させる必要があると演説した。絵画、彫刻、染織、陶芸など、幅広い領域にまたがるボストン美術館の収集品は、彼らの迷いと決断の上に築かれたのである。
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2012.05.26(土)