古泉智浩の同名コミックを実写映画化した『チェリーボーイズ』で、体にコンプレックスを持つ25歳の童貞・吉村を演じた栁俊太郎。「MEN'S NON-NO」モデルから個性派俳優へ、その想いを語る。

全国大会を目指して
サッカーからバレーへ転身

――小学校から中学までサッカー部に所属し、その頃の夢はプロサッカー選手だったそうですね?

 剣道一家なこともあって、親戚一同で剣道を習わせようとしていたようなんです。それで、2、3歳ぐらいのときに道場に連れて行かれたら、泣き出してしまったようで。今でも、そのときの怖かった記憶はあるんですけれど、その後に親に見せてもらった「キャプテン翼」をきっかけに、サッカーに興味を持つようになったんです。

――その後、高校でバレーボール部に所属するきっかけを教えてください。

 中学も終わり頃になって、本当にサッカーが巧い奴を見てしまったことが大きいですね。それで、高校に入るとき、「全国大会に行ってみたい」という目標を持って、県内で強かったバレー部に入ったんです。あと、バレー部の顧問だったクラスの担任の先生に誘われたのも大きいですが、県大会では全国大会には行けず、準優勝で終わってしまったのは悔しかったです。しかも、左足のすねを骨折して、最後の試合には出られなかったんです。

――そのときの悔しさもあって、2009年「第24回MEN'S NON-NOモデルオーティション」に応募されたのでしょうか?

 バレーでも不完全燃焼でしたから。それで、母親と姉がたまたま「MEN'S NON-NO」を読んでいて、2人に勧められて応募したんですが、写真を撮って送るぐらいならいいかと。でも、まさか自分が受かるとは思いませんでしたね。

浅野忠信との運命的な出会い

――その後、11年に浅野忠信さんと出会ったことを機に、現在の事務所(ANORÉ INC.)に入られますね。

 モデルの仕事で、浅野さんのブランドの服を着ることになったとき、スタイリングの日に浅野さんがいらっしゃったんです。東京で、初めて直接お会いした俳優さんだったんですが、「バンドやってるから、今度ライブに遊びにおいでよ」と言ってくださって、それを機に仲良くさせてもらいました。それで、役者の道に進みたいことを浅野さんに相談したら、「うちの事務所に来なよ」と言ってくださったんです。

――ちなみに、幼い頃から映画は好きだったんですか?

 『E.T.』や『グーニーズ』を観たことで映画が好きになって、『あの頃ペニー・レインと』『さらば青春の光』といった音楽がテーマの映画を多く観るようになっていきました。中学生ぐらいの僕にとって、褒め言葉は「カッコいい」じゃなくて、「変わってる」だったんです。だから、あまり同級生が観ないような昔の映画を観たり、みんながしないようなファッションをしたりすることを、あえて意識していました。

――12年、映画『ヴァージン(「ふかくこの性を愛すべし」)』で俳優デビューされるわけですが、その頃の心境を教えてください。

 その前はショートフィルムやMVなどにも出ていたんですが、特に演技レッスンを受けていたわけでもないので、何も分からず、どこかビビっていました。それで監督に怒られないよう、言われるがまま、探り探りやっていたところはありますね。

2018.02.23(金)
文=くれい響
撮影=末永裕樹