島影が戦艦「土佐」のように見えることから、通称「軍艦島」と呼ばれるように。 日本初の鉄筋コンクリートの7階建てアパート跡が残る島の南側。当時、テレビ普及率が全国で8%程度でも、軍艦島では100%。先進の島でした。©軍艦島上陸クルーズ 軍艦島上陸クルーズの「ブラックダイヤモンド」号で島へ。 日本に造船業を支えたジャイアント・カンチレバークレーン。稼働している中では世界最古でもあります。 戦艦「武蔵」が造船されたBERTH NO.2の前を通過します。 眼鏡橋を通り過ぎて、さらに進みます。 かつて700名が暮らし、病院や学校もあった横島。今は沈下して岩礁に。 軍艦島のお隣の高島に上陸。この島も炭鉱の町として栄えた歴史が。今も有人島です。 もともとは中央の岩盤部分のみでした。それを6回の埋め立てで3倍のサイズに。 高島の石炭資料館前にある、かつての軍艦島の様子を100分の1にした模型。 かつての小・中学校を沖から。岸壁には子供たちが記念に描いた絵が残されているそうです。 島の南側。日本最古の7階建て鉄筋コンクリートのアパート。灯台は人々が島を去ってから建設されました。 上陸できるのは南側の約230メートルの通路のみ。©軍艦島上陸クルーズ 帰路も洋上から世界遺産見物ができます。こちらは小菅修船場跡。 世界新三大夜景の長崎。稲佐山から長崎港を見下ろして。