なるべく避けて通りたい「攻撃的な言葉」の中にも、「アウト」な言葉と「セーフ」な言葉が存在する? 個性豊かな罵詈雑言、迷言、トラッシュ・トークの実例をあげながら、時代に即したOKラインを考察します。
気鋭の言語学者・川添愛さんが日常に飛び交う会話を様々な角度から分析し、「言葉のセンス」を探求する言語学エッセイ連載第7回です!
先日、知人と話していて、笑ってはいけないところで笑ってしまいそうになった。その知人は最近、他人のとある言動に腹を立てたというのだが、そのときのことを私にひととおり語ったあと、怒りの形相でこう言ったのである。
「次に同じようなことがあったら……味が出るまで咬んでやる!」
この「味が出るまで咬んでやる」が、大いに私のツボにはまった。スルメかよ!と心の中でツッコむと同時に、たまにネットで話題になる「トラッシュ・トーク」のことが頭をよぎった。聞いたことのない方のために説明すると、トラッシュ・トークとはスポーツや格闘技の試合に際して、選手が対戦相手を挑発したり罵ったりすることを指す。つまり「言葉による攻撃」である。
トラッシュ・トークは試合の演出の一部とみなされたり、「あくまで仲間内での冗談のようなものだから問題ない」と言われたりする一方で、「それでも不快だ」と嫌われることも多い。私個人は、こういった「攻める言葉」にこそセンスが要求されると考えている。いくら試合を盛り上げるためとはいえ、安易に相手の見た目や属性に言及すると「誹謗中傷」と見なされかねないし、「こうしてやるぞ」と自分の意志を表明するにしても、うまくやらないと「脅迫」になってしまう。
同じ「相手を攻撃する言葉」でも、第三者から支持されるものとそうでないものがある。その違いは何か? 「ここから先はアウト」というラインを越えることなく、相手の上を行く表現にはどんな特徴があるのか? トラッシュ・トークの是非が話題になるたびに、そんなことを考えていた。
そういう視点でさっきの「味が出るまで咬んでやる」を眺めてみると、いくつかヒントが含まれていることに気がついた。一つは、「現実味のなさ」である。もちろん、味が出る(?)まで人を咬むなんてことはやってはいけないが、「殴ってやる」とか「蹴ってやる」に比べて現実味が薄い。本人の感情が十二分に表現されている一方で、実際にはやらないだろうという安心感がある(ただし、感覚には個人差があります)。
これと同じような「現実味がないからセーフ」な表現は、探してみるとけっこう見つかる。たとえば、デーモン閣下の「お前も蝋人形にしてやろうか」とか、滋賀県民が言う「琵琶湖の水止めたろか」、また昔の吉本新喜劇の「ケツの穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせたろか」なんかはこのカテゴリーに入るだろう。
アメリカで1980年代から90年代にかけて一世を風靡したコメディ『Seinfeld』にも、妻の不倫に気づいた男性が相手の男について「I'm gonna sew his ass to his face! I'm gonna twist his neck so hard, his lips will be his eyebrows! I'm gonna break his joints and re-attach them!(奴のケツと顔を縫い合わせてやる! 唇が眉みたいになるまで首をひねってやる! 関節を全部へし折って、それからつなぎ直してやる!)」と、怒りを露わにするシーンがある[注1]。これは「奥歯ガタガタ言わせたる」の英語版と言ってもよさそうだ。
また「味が出るまで~」については、わざわざ味覚に言及することで、聞く者の意識を「咬む」という行為の暴力性から少し逸らすことに成功しているように思う。ここで思い出すのは、チャールズ・ブコウスキーの小説『パルプ』(柴田元幸訳、ちくま文庫)に出てくるセリフだ。主人公ニックは銃を相手に向けながら、「動いたらスタンフォードのフットボール・チームのジャージよりもっとどっさりの赤が、お前の体から噴き出すぜ!」とか「グレープフルーツが投げこめるくらいでっかい穴をブチ抜くぜ!」などと言う。読む者はフットボール・チームとかグレープフルーツとかに一瞬気を取られてしまうし、また脅し文句の中にそういう余計なものを差し挟むことで、相手に対する余裕を感じさせるという効果もある。
文=川添 愛 イラスト=Akimi Kawakami
