細野晴臣がプロデュースする“日曜歌手”
安野 25歳ですね。その後、歌手としては、ポニーキャニオンからメジャーデビューを果たし、「ラ・ミューズィック・エキゾティク」「Mystérieux」という2枚のシングルを発表しました。といっても、あくまでも本業は会社員だから、秋山さんのネーミングで「日曜歌手」と名乗っていたんですが。
近田 ももいろクローバーの「週末ヒロイン」に四半世紀先がけてたよ(笑)。副業とはいえ、YMO解散から間もない細野(晴臣)さんが作編曲とサウンドプロデュースを行っていたわけだから、贅沢なプロジェクトだったよね。
安野 ええ。素人だというのに、貴重な経験をさせていただきました。
近田 そして、1985年に2CVが解散した後は、秋山のところで働くことになる。
安野 ええ、秋山道男さんの事務所「秋山計画」に誘われて、転がり込むんです。
近田 秋山の下では、どんな仕事をしてたの?
安野 いろいろやってましたね。プランナーとしては、商品のネーミングに関わったり。1985年、名古屋の栄に「ダンスホール」っていうディスコがオープンしたんですが、あの名前は、私がつけたんです。ダンスホールって、普通はソシアルダンスなんかの会場に使う名前だけど、ディスコだってダンスなんだからいいじゃないって。
近田 あれ、安野の仕事だったんだ。いいセンスしてるよ。
安野 それから、コラムニストとして、いろんな雑誌に連載を持ってました。マガジンハウス、角川書店、NHK出版、JICC出版局(現・宝島社)……、たくさんの出版社と仕事をしましたね。
近田 テーマとしては、何について執筆してたの?
安野 演劇だったりデザートだったり、頼まれるままに書いてました。
