日本初の男性同士による恋愛リアリティショー『ボーイフレンド』(Netflix)でスタジオMCを務め、その華やかな存在感と温かな言葉で注目を集めたドリアン・ロロブリジーダ。4月18日(土)からは、舞台『DURIAN DURIAN(ドリアン・ドリアン)』で初主演を務める。

 後篇では、話題を集めた『ボーイフレンド』でMCを務めるにあたっての思いや、トランスジェンダーのパートナーとの結婚についてなど、ドリアンさんの現在地についてインタビュー。

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『ボーイフレンド』での「通訳」としての役割

――Netflix『ボーイフレンド』シリーズは、日本初のゲイ・リアリティショーとして大きな話題になりました。当事者であり、視聴者との架け橋でもあるスタジオMCというポジションに立つ際、どのような覚悟を持って臨まれたのでしょうか。

 シーズン1の時は、こういった企画があがっているという話を聞いた時に、やっぱり心配が先に立ちました。いわゆるゲイの方やバイセクシャルの方たちの恋心のような感情の機微を、ただ指を差して面白がるだけの番組になっていたら、それは本当に自分が止めなきゃいけないなというふうに最初は思っていました。それこそ恋愛リアリティショーというのは当時いろいろな痛ましい事件も起きていたので、誰かが極端に悪者になって、みんなで攻撃してもよいみたいな雰囲気が生まれたら、自分は絶対に苦言を呈さなきゃいけないなと。

――番組の作り方によっては、当事者を消費するだけになってしまう危惧があったわけですね。

 けれど実際に行ってみたら、スタジオのMCの方たちは本当に皆さん聡明で優しくてクレバーな面々だったので、心配は一切なくなりました。とにかくみんなで優しい目線を登場する男の子たちに注ぐことができたので、すごく安心しました。

 ただ、その中でもやはり私は当事者だから担える役割もあるとは感じていました。例えば当事者のことを全く知らない方が見たら「なんで?」って思うようなことってまだまだたくさんあると思うんです。それは言動もですし、ゲイの人たちが今の日本で置かれている現状や、マジョリティの人たちがわからない困難も含めて。だから私はボーイズと視聴者の間に立って、いわゆる「通訳」のような役割を果たせればと思いながら参加していました。

――あの番組が多くの人に愛された理由は何だと思いますか。

 恋愛リアリティショーでありながらも、恋愛という要素を抜いたとしても素晴らしいんですよね。参加者たちが仲間たちの生活を経て成長していく「人間ドラマ」としても楽しませていただきました。

 私は普段恋愛リアリティショーを全く見ないので、他との比較はできないのですが、少なくとも『ボーイフレンド』に関しては、ちょっと特殊な集団生活の中で、いろいろな思いが叶ったり叶わなかったりを経て、人はこれだけ成長できるんだ、いくつになっても変われるんだと感じさせてくれる番組でした。

――番組でも、他者の人生を否定せず、受け止めるスタンスが印象的でした。それはご自身の経験から育まれたものですか。

 そもそも、人様のことをジャッジできるほど立派な人間ではない、というのが一番根底にあります。別に私は何ら偉くないし、彼ら彼女らと比べて人生経験を積んでいるわけでもないですから。まずは「あなたがそう思うんだったら、それでいいんじゃない?」という考えがベースのスタンスなんです。その上で、どうすればやりやすくなるかのアドバイスはできても、相手の生き方そのものをジャッジできる人なんて、この世にいるのかしらと思ってしまいます。

 私自身も、これまでにたくさん泥水をすすってきましたし、馬鹿なこともしてきましたし。「みんなそれぞれいろいろあるよね」という感覚が強烈にあるんです。

――「泥水をすすってきた」という言葉に、ドリアンさんの歩んできた道のりの厚みを感じます。それでも、現代はSNSなどで、見ず知らずの方から心無い言葉を投げられることも多い時代です。

 見ればへこみますし、腹も立ちますよ。好き放題やっているように見える私も、実はものすごくビクビクしながらやっているんです(笑)。でも、100人いれば100人に好かれることは不可能ですし、どれだけ気を遣っていても壮絶に嫌う人はいる。ただ、好きでいてくれる方の方がはるかに多い状況であれば「それでいいじゃない」と思うようにしています。

 結局、世間や他人は自分の人生の責任を取ってくれないので、誰のせいにもできないんです。だからこそ「自分が選択して、自分の好きなことをやっている」とは思うようにはしてますね。誰かのせいにすると、その時から不幸が始まるだけだと思うので。

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