隠したいと思うようなことを晒している

――お姉さんの統合失調症と思しき言動を映画にどこまで入れるか悩んだ、ということを書籍で告白されていますね。

 もし姉が健在だったら、映画にするのをやめてくれという話になったかもしれない。ひょっとすると隠したいと思うようなことを晒しているわけです。特に予告編に関しては映画を観ない人にも届いてしまうから、どこまでオープンにするかは東風さんともすごく相談しました。姉の症状がわからない映像だけでもつくれるけど、それだとなんの問題もないように見えてしまう。だからどのシーンをどう使うかというのはその都度必要な理由を考えながら入れました。

――ドキュメンタリー制作上の倫理と必要な情報のバランスを考えながら編集を進めていったと。

 父には映像の公開について承諾を求めましたが、当時96歳で後見人を立てないといけないような状態だったので許可をもらったとは言い難い。そういう意味で言えば、誰からも正式な承諾は取れていないんです。だから倫理上の問題があることは自覚していますが、その責任はすべて自分で引き受ける覚悟で制作しました。だからこそもっと批判的な意見が来ると思っていたし、その重圧で口の中が傷だらけになったんですが。

統合失調症の人に対して使われる“異常”という言葉

――以前お話を伺った際には、「親戚との関係がなくなるかもしれない」と覚悟されていましたよね。

 幸い、今のところ親戚からクレームらしい反応は受け取っていません。映像にも登場した叔母は映画を観てくれて、もう90歳近いのでポンポンと反応が返ってくる感じではないですが、否定的ではありませんでした。母の妹である80代の叔母も観てくれましたが、その人は「こういうこともあったね」という反応でした。

――そのうえでスティグマの再生産をしないように気をつけていましたよね。

 そうですね。ただ、いろんな場所でお話ししていると、多くの人が人を「理解できる/できない人」のグループに分けているような気がしていて。身近な人には普通“異常”なんて言葉は使いませんが、統合失調症の人に対しては、“異常”っていう言葉がいまだに使われるんですよね。「この人たちのことは理解できない」と最初から拒絶して、同じ社会の一員として見ていないと感じます。映画の感想で、姉を形容する言葉に“異常”とか“異様”という言葉を使われているのを見ると、なにか冷たいものを感じます。

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