原笙子先生が残したもの
初めて原笙会の舞を見たのは西宮神社の観月祭でした。白化粧をして舞う、たおやかな古代の舞の美しさに私はすっかり魅了されてしまいた。
2005年、私は決心して入門を乞う手紙を原笙子先生にしたためました。しかし、その日の朝刊を見て愕然としました。なんと原笙子先生の訃報が載っていたのです。ご病気とは知る由もなく、なぜもう少し早く入門しなかったのか悔やむばかりでした。ご縁があったのかなかったのか、舞楽を習うことをご霊前に告げるため、そっとお葬式に伺ったのでした。
お弟子さんたちが活動を続けておられるというので、ともかくも問い合わせて稽古場を訪ねてみました。対応してくださったのは後継者の生川純子先生でした。大変美しい方で、人柄と舞の才能を見込まれ、内弟子として原笙会に伝わるすべての曲を伝授されていました。「私を超える指導者に育った」と原笙子先生から贈られた出藍の証(表彰状)が壁に掛けてありました。
「私は絵描きですので、何か描く事でお手伝いできるとよいのですが……」
と申しあげたところ、生川先生は少し驚いた顔をされて、装束部屋から無地の細帯を8本持って来られました。
「これは『柳花苑』という女舞のための帯ですが、原先生が生前『絵を描く人が入会したら紋様を描いてもらうように』とおっしゃっていました!」
これはもう、原笙子先生に呼ばれたのだと思わずにはいられませんでした。
幻の女舞~千年の時を取り戻したい~
先程も少し触れましたが、奈良・平安時代、宮中には「内教坊(ないきょうぼう)」という女性に雅楽を教習する部署があり、女性も盛んに楽を奏で舞楽を舞っていました。それらを女楽、女舞といいます。しかし、だんだんと武士の時代になり内教坊が廃絶、舞楽の世界から女舞は消えてしまいました。
しかし現在も、女舞であった(もしくは女性も舞っていた)といわれる曲が多く残されています。
例えば『五常楽』『狛桙』〈『梁塵秘抄』鎌倉時代〉、『桃李花』『皇麞』『萬歳楽』〈『教訓抄』鎌倉時代〉、『柳花苑』〈『信西古楽図』平安時代〉などです(※〈〉内は典拠)。
唯一、『五節舞』という女舞が現行曲にありますが、天皇が変わるごとに舞が新たに作られるので古い舞は残っていません。
舞譜が伝わっていないので創作の域を出ませんが、絵巻のなかに描かれた女舞の姿をたよりに装束や髪形を復元しています。千年の時を取り戻し、絵巻の舞を実際に見ることが出来るとは、なんて素晴らしい試みなんでしょう!!
2015.09.05(土)
文・撮影=中田文花